意地だけでは

おはようございます。

霜月11月、今日から誠澄は夜半33キロの「懺悔練行」に入りました。いよいよ今月末30日〜12月7日まで七日間「断食・断水・不眠・不臥」行の本格的前行です。雨の中の行、法力が強まると厳しい環境が調えられるという言い伝えがあるように、初日であり、ちょうどよいくらいの雨です。
是非いちど夜半の33キロの随喜行にチャレンジください。筆舌に尽くせないご利益とパワーがいただけます。
霜月という字を見ますと、子供の頃寒い朝に霜柱をジャリ、ジャリと踏みならしながら歩いたことを思い出します。道路がアスファルトで霜が立つ道もなくもう何十年も霜柱の上など歩いたことはありません。今の寒さに比ぶべくもないほど寒かったように思います。
子供の頃、冬は手はあかぎれ霜焼けで寒さの盛りに手がただれ、毎晩お袋が米のとぎ汁を温めてくれる、それに数分手を浸していました。とぎ汁の中に在る成分が霜焼けに良いという、民間療法だったのでしょう、懐かしい母親の思いでです。そのときの辛くイヤだったことが懐かしく思い出されます。人間とは妙なものです。今月もよろしくお訪ね下さい。
子供の頃は意地だけで日々を過ごしていたようです。勉強もダメ、体力は無し、何もかもが人よりも劣っている、自分を支えているのはいつかはという思いの意地。そんな意地が寂しいことだと思えるようになって変わったようです。
意地だけで行動が無ければ何も変わらず、生長も進化もない、自暴自棄になり、人様を悪くしか思えない、人が何か失敗したら、俺だったらそんな馬鹿なことはしないと、出来ないクセに考えてしまう、そんな下劣な人間であったようです。今思い出しても自分が自分でイヤになってしまいます。
霜に当たれば野菜は甘味が増し美味しさが更に増します。不思議ですね、厳しいと内奥にある能力が引き出される、人間も表面的にイヤだと思うような現実に遭遇したとき、ちょっと辛抱することで隠されている能力が引き出されるのでしょう。
意地だけの子供時代、頭の中にはいつも未来が輝いている姿だけを思い描いていました。あるとき身近な世界が大事だと、お金は誰でも欲しいことに変わりはありません、しかし百万円という大金の金があるわけではなく、一円の積み重ねです。積小為大に気づかされたのです。大小に心を奪われ、小を大事にしない私が大を語れるはずもなく、大となれるはずもないのです。そんなことをおぼろげながら思い立ったときから変わり始めました。
「千里の道も一歩から」という教えを確かにしたのです。万里の畑を耕すのも「一鍬から」です。イヤなことを避けようと思ったときからイヤなことばかりになるのです。良いことを欲しがってもイヤなことに遭遇するのです。夢はこの一歩からと信じ歩んだときから、イヤなことは才能を引き出し、良いことは更に自分を成長させるのだと、お袋のことを思い出しながら、中学の時新たな一歩を踏み出したことを思い出しました。今月はお袋の祥月だからかもしれません、田舎に帰ってみようかな?。
幾つになっても故郷は思い出します。そして新たな意欲も湧くのです。今月も楽しい一ヶ月でありますよう。
明日は第一日曜ですので心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」午前10時からです。「大道無門」の鳥居門扁額を掲げて一ヶ月。身近な人の幸せをご一緒に祈りましょう。お待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興、豪雨災害の復興を祈り応援します。