敬してこそ

おはようごいざいます。

「にんげん学」東京講座ご出席の皆さんありがとうございます。来月は最終講座です。ご自愛いただき最終講座元気にお会いしましょう。12月最終講座は12日(金)に変更になりましたお間違いありませんように。そして終わりよければすべてよしとして新年を迎えましょう。
昨日の論語、陽貨(ようか)第17、11条「子曰く、禮(れい)と云(い)い禮と云う、玉帛(ぎよくはく)を云はんや。後略」ここで孔子が教えていますことは比叡山時代から師匠に肝に銘じるようにと厳しく教えられたことを覚えています、年令を重ね、経験を積めば積むほどこの教えの通りだと思います。
意は「孔子言う、礼、礼とよく言うが、それは世上で言われるような、礼物として用いる玉とか帛(はく)とかの多少をいうものであろうか、そうではない、礼の根本は心の敬いであるから、その敬いの心を忘れてはならないのである。云々」。
師匠が良く言われました、礼とは形も大事だが、それ以上に「ありがたいという気持ちで教えを聞いたならば、その教えを敬うことだ、敬うと言うことは教えを行うことだ、それこそが礼だ」ということです。
いくら理屈で、「ああそうか、礼が大事か」と知ったところで敬して心からの行動になっていなければ礼に叶っておらず、教えも師も敬してもいないというのです。敬していない以上に「愚弄している」のだぞ、とも教えていただきました。行動ができないようでは口先だけ、形だけの人間になってしまい、人の先達(せんだつ)として立つ人間として最も下劣な人間になるぞとも教えられました。
兄弟弟子の中に礼を知識として知っていたとしても行動の伴わない行儀の悪い者が多々ありました。もちろんその中の一人が私であるのは言うまでもありません。今でも恥じております。
素晴らしい教えを学びながら心からの行動がない故に、何故私の行動が理解されず響かないのだろうかと悩んでおられる方もいるのではないでしょうか。それは礼に叶っていない、目の前の人を尊敬していない、その心が響かないのです。すべからく教えとは心から教えを敬し行動にしてこそ礼に叶うことを今一度確かにしてみてはいかがでしょう。
一日礼というものを考えて今日は過ごしてみましょう。新たな気づきがあるかもしれません。良い一日でありますよう。
二日前から2名の研修生が在寺です。今日からCMA様主催「管理職研修」に合流、合わせまして20名の方の研修が一泊二日で行われます。研修生の皆さん気をつけて入山ください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興、豪雨災害の復興を祈り応援します。
5月の「チャリティゴルフ」、7月の「大般若経六百巻転読会・チャリティ寄席」にて皆さんにご協力いただき宮城県南三陸町」へご寄付させていただき、南三陸町会計管理者・佐藤秀一様より受領書を頂戴しました。温かいご支援ありがとうございます。
今月22日「心華大祭」にて「東日本復興支援・チャリィテイバザー」があります。是非ご協力ご支援ください。