なぜ学ぶの

おはようございます。

実家の兄から山形名産「ラ・フランス」を送ってきました。私の子供の頃の山形は東北六県では貧しさでは最下位でした。貧しいということは産業が少なかったということです。今ではいろいろな産業もでき以前よりは豊になったようです。
初夏には「さくらんぼ」や「ぶどう」、秋には「ラ・フランス」「りんご」と果物も美味しい物が沢山できるようになり、季節毎に実家から送ってもらうのを楽しみにしています。
実家からの便りや故郷の果物などが送られて来ますといつも子供の頃を思い出します。不出来な私でしたので優秀な兄たちを私は余り好きではなく、イヤでたまりませんでした、僻(ひが)みですね、今は大好きです。
なんで勉強などしなければいけないのか不出来な私にはわかりませんでした。そんな思いが日増しに強くなるのです。学ぶとは「他者を思いやる徳の素晴らしさを知る」ことと知ったのはこの世界に入ってのことです。子供の頃の苦しみ辛さが「なんで学ばなければいけないのか」を考えさせてくれたのです。
私は、「自分の事しか考えられない子供でした」。「なんで苦しい私を誰もわかってくれないの?」といったようにです。今だからわかることですが、社会は「自分と他者で構成されています」。その社会にあって、もし自分の利益(考え)ばかりを優先する人がいたら、周囲はどう思うでしょうか。「何だ、あいつは自分の事ばかり考えて、身勝手だな。そんな人間に関わりあいたくない」と、そっぽを向かれます。
そんな利己主義の人とは、誰も仲良くしたくない。「一肌脱いでやろう」とは思わない。その人がどんなに困っていても、手を差し伸べようという気にもならない。したがって利己主義は孤立してしまうのです。それがどんなにつらいことかを想像してみてください。「のけ者」にされてしまうのですから。子供の頃はこのようなことはつゆ知らず、見事に「孤独、のけ者にされた時代」でした。
逆に他者を思いやって行動する人は、どうでしょう。ありがたいですね。みんなに頼りにされます。また「困ったときはお互いさまだ」と力を貸してくれます。周囲の人たちとの善い人間関係、これを「感謝の人間関係」といいますが、これを築くことができるのです。
だから、他者を大事にしなければいけない。「自己の最善を尽くしきる、徳ある人」にならなければいけないことを学びから知ったのです。
学びとは「より善く人生を生きる、そのコツ、徳を明快にして習得することにある」のだと知ったのです。人間の最大の喜びが「人に尽くす徳」に目覚めることだと知らされたのです。自分の事しか考えられなかった、利己主義だったから孤独で、のけ者にされたことを知ったのです。人は学ぶことによって、悩みや憂いが無くなるのです。楽しくなるのです。
本当の自分に目覚めさせてくれた苦しかった少年時代を今は感謝しています。今、苦しいな〜と感じている方、「ありがとう、と苦しみに感謝して、目の前の事に最善を尽くしてみてください」。きっと雲が晴れるように楽しい人生が目の前に出現します。楽しい日曜をお過ごしください。
今日は第二日曜日ですので心華寺「水子供養祭」です。午前10時より法要を行います。「あなたしか知らない存在」です。ご一緒にご焼香ください。
明晩は「にんげん学」京都講座「老子を読む」、人間の魅力が増す心学をご一緒しましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興、豪雨災害の復興を祈り応援します。
ラ・フランスは器量はよくありませんが、とても美味しい果物、人間と同じですね、外見に惑わされてはいけません。

雨に光っている落ち葉、自然はどのようであっても美しい。私もそうでありたい。