至誠

おはようございます。

先日師匠にお電話をいただき、昨日はお手紙を、そんなことが続いたせいか、私の名前のことがふと思い浮かびました。法名「最誠(さいじょう)」は師が授けてくださいました。人生の在り方、処し方は「至誠」にありということです。そして比叡山天台宗開祖であります、伝教大事「最澄上人」様の「最」の一字を上にいただき、「伝教大師様の法の恩に報いることを忘れず在れ、その実行が至誠」という意味で「最誠」としてくだされたのです。
それ以来私の道は「至誠と、一隅を照らす実行のみ」と思い実践。まだまだ至りません、ひたすら歩んでいます。日参り、週参り、月参りの方、講演の依頼、多くの企業様が研修でご来寺下さいます。誠にこれはありがたいことだと感謝しています。
私は本来話したり、人様に説教をしたりということが苦手です。至誠の実行のみと考えて、実践してきました。
ナスを植えればナスになり、ニンジンを植えればニンジンとなるが如く、私は私であることが至誠です。私を私として生かしてくださればありがたいと思うのです。老子は「跂者(つまだつもの)は転ぶ」といいます。見栄を張って高望みすれば転ぶぞ、背伸びすることは至誠ではないというのです。私は私の実力でしか至誠の実行が出来ないからです。
至誠とは打算ではなく利害でもありません。損得で考えているようでは至誠にはなりません。欲や打算、そのようなものを誠を尽くすと考えている、思っている人は自分にウソをつき、人様にも嘘をつくのです。至誠とは真心であります。
ですから私は言葉を巧みにしようとか、知識を豊富にしようとも考えた事はなく、「出来ることに磨きをかけること」そして「至誠の実行」に心を尽くしています。
いくら知識があり、技術があったとしても、至誠の実行がなければ事は成就しません。人様は愚かではありません、嘘か誠くらいはわかります。「至誠神の如し」と中庸に説かれています。一隅を照らすことしかできない私が、多くの皆さんに「場を与えられたことが、神に通じた証だと考えています」。でなければ「至誠神の如し」という教えがウソになってしまいます。目の前のことに至誠を尽くす一念でこれからも在りたいと実践します。
今日から一泊二日「M&Uスクール」が心華寺で開講されます。受講生の皆さん気をつけて入山ください。久しぶりに在寺しております。
週末、10日に書きました規範を確かに出来たかを静かに振り返って見ます。反省は次の実行への意欲をかき立てます。このことも至誠の実行ではないでしょうか。良い週末をお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興、豪雨災害の復興を祈り応援します。