因果

おはようございます。

お釈迦様は因果を私たちに説いてくださいました。これはまことにありがたいことです。何がありがたいかと申しますと、何をすべきかが見えてくるのです。
因果の道理とはどなたにでも解ることで、今日在るのは昨日が在ったからであります。今私は67才、50代の時もありました。青年時代、少年時代、幼児のとき、赤ん坊の時と、このようにして考えて行きますと、今現在るのは過去に積み重ねたものだということです。
赤ん坊の前はお母さんのお腹の中にあったのです、このように又たどりますと、何千年も前のことも思うことができます。幾星霜、今日このように私が在るということは数え切れないご先祖の上に存在しているのです。
人となるには親からの躾けや教育、いろいろな恩恵を受けて人として存在できているのです。育ててくれた親は恩を着せようなどと考えてはいないでしょうが、育てられた大恩は思わなければいけないのが人として当たり前のことです。
先日「ひじきと大豆を炊いたもの」が晩ご飯に出ました私の好物です、なかなか栄養があります。
因果を大豆で書いて見ます。大豆は、前世は「草」です。草の前世は「大豆」であり、「種」です。大豆は「草の化身」なのです。
大豆はどこかの畑で生まれたのです。風雨をしのぎ、炎暑を避け、草に覆われ、兄弟を間引かれ、辛苦・艱難を経て大豆となったのです。大豆は育ててくれたあるじの大恩を忘れてはいけません。
そして草であった恩を忘れず、もとの草、種となって繁茂し、豆を作ることを願うことが大恩に報いることとなるのです。
たとえを書きましたが、私たちも同じです。いろいろな恩恵を受けたからこそ今の私たちが在ります。それを思えば、恩返しをするために人様のお手伝い、サポートをし社会の繁栄のお手伝いを人としてすべきです。
いろいろな人からの恩恵を受けて人として生長してきたのだと考え感謝の日曜を過ごしてみてはいかがでしょうか。何か新しい気づきがあり、これからの人生のヒントが生まれるのではないでしょうか。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興、豪雨災害の復興を祈り応援します。
東京立川のSさん、北九州のMさんが、お子様の合格祈願のためおまいりくださいました。遠路ありがとうございます。

22日の「心華大祭・採燈大護摩法要」当日に行われます。東日本大震災復興チャリティバザーの出品を整理くださっている皆さんです。来週22日は是非お出かけいただきご支援ください。お待ちしております。



今月2日東京から参禅にお出でくださいました「南部塾」主催Kさんからいただきました。ありがとうございます。