心の誠

おはようございます。

心華寺の道路に面した一画に「七転八起・だるま地蔵尊」をお祀りしています。皆さんがおまいりしやすいように道路傍にしてあります。昨日近くの医院にインフルエンザの予防注射をしに行ったおり、車いすに乗った年配の男性の方がおまいりしていました。私が通りかかりますと、賽銭箱の所までいけないので「賽銭を入れてください」と声をかけられましたので、入れて差し上げました。そうしますと、「ありがとう、ありがとう」と何度もお礼を言ってくださり、思わず背中をさすってあげましたら又お礼を、数分の出来事でしたが、朝からとても爽やかでした。
よくおまいりなさる方、よくご奉仕くださる方の共通していると思われることは「素直」「心の誠」が確かであるということです。素直な人の心をたとえれば明鏡止水(めいきょうしすい)とでもいいましょうか、明鏡止水とは「なんのわだかまりもなく、澄みきった静かな心の状態」をいいます。
このようであれば教えは教え通りに心に宿り、行動も教えに随い素直にできます。素直にできるからこそ、「手を合わせているのに、なんで車いすに乗るような病になったんだ」などと、嘆かず、苦しまず。良寛禅師が言っているような心境「病になるときは、病になるのがよろしかろう」という、受け入れる気持ちとなり、寛大となり、どんな状況におかれても楽しく暮らすことができるのです。
人生を豊で素晴らしいものに描きたいと思うのであれば、「心というキャンバスは平らでまっ白でなければいけません」、でなければ描けないのです。心の下地が歪んでいたり、汚れていたのでは、いくら素晴らしい知識を得ようとも、自分のものとしようとしても、心に映すことは適わず、水が歪んでいれば正しく映らず、絵を描く画用紙が汚れていたのでは、綺麗にかけず、心が歪んでいたのでは正しく写せないのです。
知識もあり、礼儀も正しい方が世間的に余り認められない方があります。このような方を拝見しますと、「心の誠」「誠実」さに気づかれていない、理解できていないのではないかと思われるのです。
人様を尊敬し、素直な心で、こんな風になれれば、あの人のようになれたらという心の誠です。
自分の心は先人が苦労してつくられた知識や、技術によって「心を表現でき、知識を働かすことができ、行動とできている」という感謝の心です。
ただ単に頭を下げていても、心の誠がなければその礼は通じず、知識も技術にも感動せず、できるだろう、知っているだろう、という慢心、増長の心が見え隠れするのです。故に人様の心にも響かないのです。
車いすの男性の手を合わせる姿を見て「心の誠を見た」ような「お地蔵様を見たような」清々しい気持ちになりました。今日もまっ白な心で出会いをしましょう。人様がきっと輝いて見えますよ。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興、豪雨災害の復興を祈り応援します。