一燈

おはようごいざいます。

今朝は下関愛宕寺です。連休開けでしたが行楽シーズンですね駅、新幹線は結構な混雑。皆さんの楽しんでいる姿を見るのもいいものです。人生にはいろいろな旅路があるのだろうな、などと考えていました。
幕末に「佐藤一齋(さとういつさい)」という大儒学者がいました。彼が著しました「言志四録(げんししろく)」に「一燈提(さ)げて、暗夜を行く。暗夜を憂(うる)えること勿(なか)れ。只(ただ)一燈を頼め。」という言葉があります。
人生「一寸先は闇」ともいいます。といいますか、この先どうなるかは、誰にもわかりません。でも、だからといって、その暗闇を手探りで歩くような無茶な人生はいけない。足元を照らす灯りを持って、生きていかなくてはならない。その灯りとは、自分自身である。そんなふうに一齋は言うのです。
人生勝ち負けではないということを先日書きました。私たちは若いうちは、いろんな人と競い合いながら自分を成長させていきます。
自分一人がそう思っているだけだとは思うのですが、私は私だという思いを持ちながらも、画一的な教育の場で人と同じようでなければいけないという誤った認識、恐怖心が育ってしまったことは否めません。
人と同じようにという事は間違いではありませんが、人と同じようにできないことで自分を見失うことが良くないのです。
しかし人はいつしか他者との競争から脱し、人として「本当の内なる自分」と競争するようにならなくてはいけません。
「昨日の自分と競って、今日の自分は勝った、負けた」とやりながら、自分の成長にさらに磨きをかけていく。そういったことを続けていきますと、やがて、「自分はこの世に二人としていない、唯一無二の存在となる」というレベルに達することができるのではないでしょうか、それが「自己確立」ではないでしょうか。
そこにこそ「ほかの誰にもない、自分だけが有する能力・個性を育てる」ということにもなるのではないでしょうか。高倉健さんのような存在感のある、人間性を養うことにもなると考えています。
一時は外の世界、人に憧れて人と競い成長させようとするのもいいでしょう。しかしある時期からは自分の中に人と比べてではない「これを磨こう」というものに、磨きをかけながら歩むことに気づくべきです。それが「唯一無二の存在」となることになるのです。
この「唯一無二の自分」という灯りを持てたら、もう他者がどうであろうと気になりません、他人と比較して落ち込んだり、嫉妬したりすることもなくなるのです。
そうすることで「無競争の領域」に入り、ただ自分を高め磨くことを頼りに、自分に恥じない言動を心がけながら、確かに歩むこととなるのです。
今夜は「にんげん学」小倉講座「老子を読む」。明晩は神戸講座「論語を読む」。他者との不毛な競争をせずに確かに歩みましょう。これほど幸せなことはないのですから、会場でお会いしましょう。良い一日をお送りください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興、豪雨災害の復興を祈り応援します。
愛宕寺の玄関を出た目の前の壁に。