知る者は言わず。

おはようございます。

「にんげん学」大阪講座ご出席の皆さん木枯らしの吹く寒い中最終講座ありがとうございます。身の丈に合った生き方で年末を元気にお過ごしください。そして良い年をお迎え下さいますよう。
新年は1月11日(日)、心華寺を会場に大阪、京都、そして全国の皆様との合同講座です。全国の皆さん是非ご出席下さい。講座修了後懇親会を席を変えて行います。年一度の名勝宇治川河畔での懇親会、全国の皆様のご参加をお待ちしております。
昨夜の老子第56章「知る者は言わず(「玄同(げんどう)」の人。和をもって尊しと為す)。」昨夜も身に堪(こた)えました。
「知る者は言わず、言う者は知らず。
其の兌(あな)を塞(ふさ)ぎて、その門を閉(とざ)し、其の鋭(えい)を挫(くじ)いて、其の紛(ふん)を解き、其の光を和(やわら)げて、其の塵(じん)に同ず。是(こ)れを玄同(げんどう)と謂(い)う。
故に得て親しむべからず。得て疎(うと)んずべからず。得て利すべからず、得て害すべからず。得て貴(たつと)くすべからず、得て賤(いや)しくすべからず。故に天下の貴きものと為(な)る。」
意は『徳のある人は軽口を叩(たた)きません。自慢話をする人はただ軽薄(けいはく)なだけです。
「道」を知る人は余計(よけい)な知識(ちしき)が入らないように目や耳をふさぎ、欲の生まれる心を閉(と)ざしています。
 そうであるから、鋭敏(えいびん)さを感じさせることなく争いを収(おさ)め、できる人だと思わせないほど凡庸(ぼんよう)としており、慎(つつし)み深く周(まわ)りの人たちに合わせて暮らすのです。これが「道」に従った、人との接し方です。
 この境地に達した人には誰もなれなれしくできず、それでいて疎遠(そえん)にもしません。特別な配慮もしなければ、気づかいすることもありません。偉(えら)いとか偉くないとかを感じさせることもありません。
 だからこそ、みんなから大切に思われるのです。』
いかがです。和光同塵という言葉は老子56章の教えから出ました。古人は聡明な人は知っていることをひけらかさないものだと考えていました。だから、いろんなことを吹聴(ふいちよう)するような人は小人だとされたのです。私などは小人そのものです。
現代でも同じではないでしょうか。話しの一部を聞きかじっただけで、すべてを知ったかのように自慢げに話す人はどこか信用におけません。
その反対に、知っていることを自慢するようにひけらかすことをしない。そうした謙虚な人にはどこか好感がもてます。そして私欲を持たず、普段は頭の冴えを抑え、世人とつきあい、親疎、利害、貴賤の区別を超越し、広い度量と公平無私な心で人と接するようにと老子は教えるのです。
こうした品格は「和」を重んじるところから醸成されるというのです。人様を先ず受け入れることが「和」です。しかし身の丈に合った生き方をしている私たちは、公平無私ですので、是々非々を穏やかに確かにできるのです。
自分より豊かな人を生かし、そうでない人には自然に感化してしまうのです。そのためにも普段から小欲知足の在り方が大事です。今日も寒さが厳しいですが身の丈に合った生き方をして楽しく過ごしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興、豪雨災害の復興を祈り応援します。
「ぶら和尚」で東福寺、御寺泉涌寺三十三間堂、豊国神社、かつて京都大仏があった方広寺へ。下の3枚の写真は東福寺で。



Kさん手作りのお弁当、ごちそうさまでした。

通し矢の行われた三十三間堂の軒、120メートルあるそうです。

徳川家康が、家康を呪詛するための鐘だといって豊臣家に争いを仕掛けた釣り鐘があった方広寺の鐘楼。「君臣豊楽、国家安康」の鐘銘を「豊臣」を「君」として「楽」しみ、「家康」を分断し「国」を「安」んじる。そう解釈し方広寺の大仏造営の落慶式直前に大仏殿の鐘楼の鐘銘に家康がいいがかりをつけました。このいいがかりに淀殿が怒り、秀頼が家康に謝罪することを拒んだことが大坂夏の陣のきっかけとなったとされています。現在は鐘楼のみが当時のまま、鐘は後の時代の物。

Kさんの勉強会への差し入れのサンドイッチです。ごちそうさまです。

伊丹「寶樹庵」さんの銘菓「いもしぐれ」、毎月美味しい生菓子をありがとうございます。甘さが控え目でありながら、サツマイモと小豆と山芋のハーモニーが絶妙でした。

Aさん私の好物をありがとうございます。