習慣は

おはようございます。

京都地方は61年ぶりに20センチを超える積雪、そのような大雪の中(雪国の方から20センチくらいで大雪などといいますと笑われますね)、しかし京都では大雪です。
車社会で、僅かな雪でもタイヤが雪対応でないのが私も含めてほとんどの方でしょうから、動きが取れない中での2日の心華寺「初・月例・幸福開運護摩祈願祭」へのおまいりはありがたいことでした。
文明の力でもその力が発揮できないときはあります。お正月にこのような大雪に見舞われたということは、少しのことで慢心してはいけない、少しの知識で自惚れてはいけないよという天の戒めと受け止めています。今年の干支が教えていますとおりの暮らしをしなさいよとだめ押しの如く親切に天は言っているのだなと私は考えています。
老婆心という言葉がありますが、耳うるさく何度も教えられなければ解らないのが私です。そのことを知っているからこそ繰り返し習練もしているわけですから、人の親切、天の親切をうるさがっては、真に上達を願っているとはいえません。「習慣は才能を超える」のです。愚鈍である私が今日在るのは繰り返し学んだからに他なりません。
論語、憲問(けんもん)第14、24条にも「子曰く、君子は上達し、小人は下達す。」と教えています。これは「孔子言う、君子と小人とは、その向かう方向がおのずから違っている。すなわち君子は天理に循(したが)うから、一日一日と高いところ、明らかな所にと向上し、小人は人欲に循(したが)うから、一日一日と低い所、汚れた所にと下落して行く。」と教えています。
私たちが日々歩み出す気構え、心構えの一歩が人生の行く末を大きく変えるというのです。一歩の違いが千里の違いを生むことに用心したいですね。
今年の干支は「未」という字を使いますように、未は「味」であります。「物を味わう」「人を味わう」という意味があります。しかし「未」は「未来の未」であり、口に入れて味わう程でありませんので、未を「未(いま)だ」というのです。未に「口を加えて初めて味の字となる」のです。この味は「感覚」です。ここで大切なことに気づかねばなりません。
「未と末」の文字を見てください、二つの字は「木」のことを表しているのです。上の一線の「長短、大小で未か末」となっているのです。木の字の上の一点は即ち木の上の「実に例えた」ものです。その実が熟しかけて「漸く味の付いた頃が未で」、「実が大きく熟し切って終うと木の仕事が終わる時である故に末」となるのです。
お正月から乙未のことをいろいろと書いておりますが、教えをよくよく大切にしていただきたいと願っています。私が皆さんに胆に銘じていただきたいのは、誉められることをよしとするのではなく、「未(ま)だ未だ」という思いを致し、精進しなければいけないということです。20センチの雪でオタオタしている自分を眺め「未年」の字義が教えていることに改めて思うところです。
人生未だ未だという大いなる夢に思いを致して今日もイキイキと過ごしましょう。お正月休みも今日までという方もおられるでしょう、そして三が日を働いて今日からお休みという方も、人生未だ未だという思いで良い一日をお過ごしください。そのようにあれば、あなたの可能性を味わいたいという人が多く現れる年となります。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
昨日の午前中に撮りました、写真だけを見ていますと立派な雪国です。