自然が

おはようございます。

今日は小寒、寒の入り、今年は年末からの寒さが続き、ますます寒くなるのではないでしょうか、先日田舎におめでとうの電話を入れたところ、兄は寒いと一言しみじみと言っていました。
私は寒いのは嫌いではありません、寒いのが嫌いではないというよりも自然がもたらしてくれる厳しさが好きです。どこにもモンク、不満の持って行きようがなく、耐えるか工夫するかしなければ乗り越えられず、怠け者の私は自然の厳しさがなければ堕落して、今頃は奈落の底に堕ちていたのではと感謝しています。
何も問題がなければ何もしないというのが私でもあり、いろいろとあったからこそ工夫もし勉強もし今があると感謝もしています。
お寺に休みがないのも幸いです。ですから私には休まなければとか、休みたいという観念はありません。周りの人は大変迷惑でしょう。(迷惑だという声なき声が聞こえてきます)。
一日中同じ事をやっているわけではありません、比叡山修業時代は朝起きて洗面、作務、お勤め、食事の用意、師の用事、また作務、勉強、信者さんへお仕えする、兄弟子にお仕えする等々、仕事や相手が変わる度に気持ちの変化が生じ、そのことが休んでいる、気分転換することと同じ効果をもたらしたように感じていました。
ですから休みたいという観念にならず、いつも元気に楽しく物事に対することができていました。昨日コメントでTさんが夜は熟睡しておられると書いていましたが、泥のように夜は寝ていました。
書を読み疑問が湧きますと他の書なり辞書を紐解くことも気分転換であり、集中力が途切れなく勉強もできていました。途中で兄弟子や師からお呼びがかかることもあり、これも気分転換です。
作務で庭を掃いたり、お風呂や便所を掃除したりすることも楽しく出来たのです。私には何でも気分転換でした。
修行していた所が無動寺谷という叡山ケーブルから一キロほど下ったところに寺域がありましたので、信者さんは帰りは上り坂。年配の信者さんがお帰りになられるとき荷物をお持ちして腰押しをさせていただくときのお話をお聞きすることがこれまた気分転換、私の知らない話が聞けたからです。
一人で歩いているときは挨拶をしながら勝手にすれ違った人の運勢をあれこれ考えたり、顔相からあれこれと思ったりと、気分転換に事欠きません。
それで集中力が増したようにも思っています。あれこれ悩むこともなく、一つのことをやり続けてこられたのも「お仕えさせていただいた」からこそ、「環境が厳しかったからこそ」と寒さを感じ思い返しています。
修行中に何もできていない私にいろいろな方がよくお声をかけてくれました。気恥ずかしいことを書きますが、私がやっていることは私には普通でも信者の皆さんの目にはよく動く気の効く小僧だと映ったようです。その中のお一人が心華寺の開山さんでした。自分の為にやっているのが人の目につくことの不思議です。
昨日まで10日間のプチ修行をしていました高校3年生のY君が帰り今日は何となく静かな朝です。一人の存在は大きいものです。帰ることが解っていても寂しいものであり、だから出会いを大切にしなければいけないことを又知った様です。
今日は寒さが少し緩んでいますが又寒波が来るそうです、どうぞお大事に楽しくお過ごしください、素晴らしい一日となりますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌