分かち合う

おはようごいざいます。

愛宕寺「年賀式」おまいりありがとうございます。「賀」することは喜び、ことほぐことをご一緒にすることです。これはとても嬉しいことです、新しい年を寿ぎ、喜ぶ、いつも申し上げますが、「共に喜びを分かち合う」ということは喜びの中の喜びと言ってもいいでしょう、至福の時です。
共に喜び合うことは意外と難しいことのようにも思います。だからこそ至福なのかもしれません。至福の時を多くの人と共有し分かち合いたいものです。
今年は特にこの「共にを意識しましょう」。それが義の人「美しい行いのできる人」です。おかしな話ですが、哀しい事は共に分かち合うことができますが、喜びを分かち合うことは難しいのです。この喜びを分かち合えるようになりますと、開運、ラッキーな巡り会いが多くなります。なぜなら喜びを分かち合うことが幸福への道、キーポイントだからです。
数年前からIQよりEQなどということがよく言われます。共にということはこのEQの事です(EQ=情動指数。感情指数。実社会の人間関係の中で重要な一種の知性として、米国の心理学者ダニエル=ゴールマンは、「EmotionalIntelligence」(邦訳で「こころの知能指数と」))。知識があっても協調性、コミュニケーションが取れないという人が結構いるものです。いくら知能が高くとも共有観がなければ仲間意識が持てず人間関係がギクシャクしてしまうのです。
老子の教えに「「道(タオ)」と一つになろうとする者は、「道」も喜んで彼を受け入れます。
「誠実」と一つになろうとする者は、「誠実」も喜んで彼を受け入れます。
「不誠実」と一つになろうとする者は、「不誠実」も喜んで彼を受け入れます」。とあります。
老子は優しく、そして厳しいですね。良い結果を導き出すことができないのは自身の不誠実さにありというのですから。まぁこれが摂理なのでしょう。厳しいと取るほうが甘えているのでしょう。
心理学に「自己開示の返報性」という法則があるそうです。これは、「自分が相手を信頼して心を開くと、相手も自分に対して心を開く」というものです。
ときどき書きますが「相手は鏡だ」ということです。私が笑顔を送れば目の前の人も笑顔を返してくれる「鏡の法則」です。「自分の働きかけが、相手との関係を決める」ということです。考えてみますと当然です。自分が誠意を尽くしていないのに、相手が信頼に値することをしてくれるわけがないのです。至誠と実行です。
よくこのような相談に来られる方があります。仕事は一生懸命しているのですが、評価がない、という質問です。このような思いをなさる方は、至誠という意識から仕事をしているのではなく、いわゆる機械的といいますか、仕事をこなしているだけという感じがするのです。仕事をさせていただきありがたいという感謝の念が感じられないのです。
私たち人間はどうしても、自分中心にモノを考えがちですが、「ギブ&テイク」というように、最初に「ギブ(与える)」がなければ、「得る(テイク)」もありません。相手から信用を得てこそ、協力して大きな事を成し遂げられ、自分の利益も生まれるのです。
昨日おまいりいただきました皆様のお顔を拝見していましたら「自分から与える方たち」だなと、感心して新年のご挨拶を交わしていました。「因循姑息(いんじゅんこそく)にケリをつけて勇敢に進む年」、自分の中にあるつまらない束縛を自ら解き放ち、今日も清々しい一日としましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
愛宕寺「年賀式」の法要が終わり皆さんにお屠蘇を差し上げご挨拶を交わしました後に「七草がゆ」のお接待をさせていただきました。皆様一年無病息災でお過ごしください。おまいりありがとうございます。