常にあること

おはようございます。

今日車の免許書の書き換えに行こうと思っています。はてさて何歳まで運転できるでしょうか?、最近夜や雨のときの運転には少し怖いなと感じるときがあります。でももう少し免許証の返上に猶予してもらいたいと安全運転をこころがけます。
それにはやはり「初心忘るべからず」なのでしょうきっと、これは運転に限らず人生に於いても同じ事が言えます。この初心、どんな思いで人生の旅路に出発したかということでもあります。
私は今日を生きることは「己を忘れて他を利する」という生き方、在り方をしようと比叡山に入山しました。「できることをやらせていただく」ということが初心。何も秀でた物がない私、できることで人生の確立。
老子も教えています。「いつもと変わらぬ一日は、幸運な証拠」と。老子16章に「「常あること」の価値がわからない愚者は、
無鉄砲なことをしでかして、災いを招きます。
「常にあること」のすばらしさを知ることを、「明らかな知」というのです。」。
「常にあること」とは、いつもと同じような朝を迎え、いつもと同じような一日をすごし、いつものように就寝する「当たり前の日常」のことです。そんな平凡な日常の、どこに価値があるというのでしょう。
「日々是好日(にちにちこれこうにち)」という語があります。老子の言うように、これは来る日も来る日も毎日が人生最良の日だということです。しかし毎日毎日が好いこと・楽しいことずくめなどという人生は、まず有りえません。憂き世とか苦の娑婆とかいうように、喜びや楽しみよりもむしろ苦しみや悲しみの多いのが人生の実相です。
人生は順境のときもあれば、逆境のときもあります。しかしやはり「日々是好日」なのです。
「人生は楽しむものなり」と考え違いをして「悲と苦とを嫌い喜と楽とだけを吸い取ろうと取捨するな」、「勘違いするな」ということです。「人生は単に楽しむものではなく味わうものだ」というのです。「悲喜苦楽みな人生の味わい」であるとするのです。
このように生きることは難しい事でしょうが、外境に喜ばされたり、悲しまされたりしていることにすぎないことに気づけと教えるのです。
だからこそ「主体的に喜び、悲しいときには腹の底から主体的に悲しみ、これを味わえ」というのです。これこそが日々是好日、平常に日常に在る日々があるからこそいろいろなことを味わえるのです。それを知ることが明知だと老子はいいます。
今の年令を楽しみ免許更新に行ってきます。日新ですね、日に新たを楽しく味わいましょう。いつもと変わらぬ、常と変わらぬ今日に感謝しましょう。儲け損ねようが、失敗しようが、今、生きていることに感謝、二年前心臓手術をして麻酔から醒めたときしみじみ思いました。素晴らしい一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌