器量

おはようございます。

人間の器とはなかなかに大きくならないようです。何でこのようなことを書くかといいますと、何か気にくわないことがあれば心が波立ち、周りの環境が調っているときは、人に優しく、謙遜であることができることを知り愕然とするのです。
自分にとって面白くない言葉が耳に入ってくるとき、相手が明らかに自分に敵意を見せて迫ってくるとき、衣食が容易に得られないとき、このようなときにも、なお静かな心と善い行いとを持ち続けることができない自分を情けなく感じます。
心が騒ぎ波立つのは「慢心」があるからに他ならず、思いのままになると誤った考え方があるからに他なりません。数日書いていますが、「自分の都合で、我欲で取捨選択」していることに気づいていないから、心にそぐわない事柄が起きると、波立ってしまうのです。己の心がすべての現実を創り出しているのです。
これも「因循姑息」。環境がすべて心にかなわずとも、穏やかに在りたいと日々祈り懺悔し護摩を修し学ぶのです。
如何ともし難いこの世を祈り学ぶことで「見切る能力を体得したい」と今の年令になっても思い悩み、達観できずにウロウロ、オロオロし学びができることが幸せなのかも知れません。
器は大きくするものではなく、己の器に見合うことに気づくことが知恵、明知、見切る能力なのでしょう。そうすれば逆境も味わい、明日への糧に出来ることを信じています。
今夜は「にんげん学」一宮初講座、明晩は東京初講座です。各会場でお待ちしております。今年もご一緒に学んでいただくことを楽しみにしております。素晴らしい一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌