般若心経365巻読誦

おはようございます。

今日は節分、明日は立春、今日午後3時から「日数般若心経365巻読誦法要」を奉修します。一寸先は闇とかもうします。祈りはその心を「大難が小難、小難が無難」というが如くの心境にしてくれます。
人生は「糾(あざな)える縄の如し」ですので、吉凶禍福は交互にやってきます。陰陽が交互にやってくる。しかし道理というものを体得していませんと、理屈では解っていたとしても、辛抱ができません。私たちは目標、夢に向かって日々歩んでいるわけですから、何か障害に遭えば我慢ができない、努力しているのに何でと思ってしまうのが人間の情でもあるのです。
「桃栗三年柿八年」とは桃や栗は3年、柿は8年で実を結ぶという意味であります。では私たち人間はとなりますと、「個々人で夢が結実する時期は違う」のです。この意味を体得していなければ、他者を見て「なんで私が同じようにやっていて、実を結ばないのと疑問となり、道理や人様への不信感、それ以上に自分を疑うことになってしまう」ことがいけません。
呂新吾の書いた「呻吟語(しんぎんご)」に「心機、真味は涵蓄(かんちく)せんことを要す。点破(てんぱ)すること休(な)かれ。その妙は窮まりなく、言(げん)もて喩(さと)すべからず。聖人の言うことなき所以(ゆえん)なり。一たび口頬(こうきょう)を犯(おか)さば、窮年(きゅうねん)にも説き尽くさず。また離披澆漓(りはぎょうり)して、一些(いっしや)の咀嚼(そしゃく)する処(ところ)なし。」
これは「極意は心で感じとるもの」だと呂新吾は言っているのです。
意は「物事の極意や妙味は、心で感じ、心の中にしっかりと蓄えておくものである。
それを言葉で説明しようとしてはならない。極意とは、言葉で説明し尽くせないほど奥が深いものだからである。
だからこそ聖人たちは、極意を言葉に残さなかった。それは一生かかっても説明できるものではなく、説明することで空疎になることを知っていたからだ。」。
人生の成功哲学の極意を、言葉で説明するのは難しいものです。また理屈で理解しようとしても出来ないというのです。理屈で理解しようとすれば行動が無くなるのです。だからこそこうやって書き続け皆さんに感じとっていただきたいと願っています。
その上で「祈り」「にんげん学」を通し、実際の実務経験を積み重ね、真摯に反省していくことで体得していくものです。
一年365日の安全を願うのは必ずや来たるであろう困難や苦労が実際に来たったとき、今までの苦労を水の泡にしないため、どのような陰の時に遭っても「陽を思える自分としておく」ことが祈りです。これは理屈ではありません、理屈で365巻の般若心経は読誦できません。
理屈を越え信じて実践し心力、精神力、実行力を蓄えていかなければ、理屈で割り切れない事態が生じたとき、修正する勇気、反省し直すことで自分を見失わないことが人生の大事なのです。
比叡山から下山し「ナイナイづくし」から出発し今日在ることのできるのは、教えを感じとろう、感じとろう、と信じ日々実践したことをしっかりと蓄え、なぜ教えの通りにならなかったのかを自省し、再び歩み日々コツコツと忠実に、至誠と実行を重ねて来きました。
比叡山で365日の安全を祈る法が在ることに感動し、下山時一人の時代から黙々と皆様の安泰を祈り、今日ご一緒にご家族のため、会社のため、友のためにとお唱えくださる方が増えてきたことがとても嬉しく感動しています。午後3時からです、お待ちしております。
法、教えは素晴らしい、今日も教えに沿い充実する楽しい一日をお過ごしください。明日からは春ですよ。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
一昨日の「火生三昧・火渡り行」でお子さんたちの勇姿とお子さんとご一緒やお孫さんをだっこしての微笑ましい家族愛です。















東日本大震災復興支援」チャリティバザーの様子です。皆さんご協力ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。



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