好き嫌い

おはようございます。

昨日から寒さが厳しく、雪国では大変な事です何事も無いことを祈ります。子どもの頃食べ物に好き嫌いがあったため虚弱体質で寒い時期は手が霜焼け雪焼けがひどくなりくずれて血が出るという思い出があります。夜寝る前に母親が「米のとぎ汁」を温めてくれて、その中に手足を浸したことも苦く懐かしい思いです。民間療法だったのでしょう、手足を浸すときや、寝ていて暖まると痒くなり今度はひっかいて傷をつけ破れた傷にしみて痛痒かったことも覚えています。
食べ物に限らず、人の好き嫌い、勉強の好き嫌いも同じように、経験上好き嫌いは良いことはありません。自ら不幸なことを招いてしまいます。好き嫌いは誰にでもあるはずです。その好き嫌いがいつしか知らず知らずの中、徐々に心身を蝕んでいくことを思いますと好き嫌いで選択することはよくないのでしょう。
今夜は「にんげん学」大阪講座「老子を読む」です。老子は「不争の徳・無為」を教えます。好き嫌いも一つの計らい、争うことです。自分の心の中で自分との格闘です。相手がいませんので、嫌いなことを避け、さけるという意識が次第に自分を蝕んでいき、世界を狭めていく。
好き嫌いで選んで楽しくなればいいのですが、今までの私の体験では、この小賢しさが「苦を招いた」と感じとっています。「人生の選択肢は自分が握っていることは確か」です。ある時までは、この事実さえ理解できていなかったようです。「選ばされている」と考えていました。だからイヤな物は何でしなければいけないのかと、およそ見当違いなことを思っていた。
老子が「大と小と人はどちらに目が行くか」という話しをしています。もちろん「大」です。しかしそれは「惑わされている」のだと教えます。
好き嫌いをして不自由を選択した理由がそこにあると理解できたのです。大と小の話しの如く、「大は小の積み重ね」。そこに「気づいたのです」。私も大に目が行きます。しかし大になれないから大が嫌いです。そこで大事なのは「積み重ねて大となることの大切さを知ること」です、積小為大。
今、大きくなれないのは、大を見て無理だと「選択していた私が決めてしまっていた事実を知ったのです」。そこで私は初めて選択観を改めたのです。選ばされるのではなく、選ぼう、選ぶのだ、私は「大になりたいのだ」と。イヤだと避けて、自分と争い、選択して、何も変わらない、変わらない所かグチを言う日々、でも心のそこに「大に憧れている自分がいる」。自分と争うのは止めにしようとあるとき思ったのです。
今、目の前にしている現実世界で「出来ることから始めよう」と決心したのです。争うことを止めよう、はからいを捨てよう、目の前の「好き嫌いを止めよう」とした途端、目の前が開けたのです。
今夜は「にんげん学」大阪講座「老子を読む」、無為の凄さを感じましょう。会場でお待ちしております。その前に「ぶら和尚」があります。「天満天神 繁昌亭」の前に12時集合です。楽しみにしております。呵々大笑しましょう。良い一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
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