詰め込みすぎない

おはようございます。

毎日書物を読みます、読経と同じように、書を読むことは心の襞(ひだ)にしみこませ、事に対したとき無意識に相応の反応をするためと考えています。知識とするためではありません。
荘子(そうし)」もよく読む書物の一つです。老荘思想と称されるように、Tao、道を説いています。Tao、道とは、いわゆる人生の道中で遭遇する様々な事象に適した対応のためです。「荘子」の中の「養生主篇(ようせいしゅへん)」に「知識を詰め込みすぎたらダメ」と説いています。
「わが生や涯(かぎ)りあり、而して知や涯りなし。
涯りあるを以て涯りなきに随(したが)う、殆(あやう)きのみ。
已(すで)にして知をなす者は殆きのみ。」
もう少し訳しましと「人生はかぎられれているが、知識にはかぎりがない。
有限の人生の中で無限の知識を追い求めていると、精根尽きはててしまう。
そうであれば、知識をどこまでも追い求める人はくたびれて眠くなるばかりである。」
私のところに相談にこられる方の中に知識が豊かにありながら、いわゆる「器用貧乏」といいますか、「宝の持ち腐れ」になっているともうしますか、「ああぁ、もったいないなぁ〜」と感じる方があります。上の「荘子」の「知識を詰めこまない」という在り方をお勧めします。
人生は有限ですが、知識は無限です。したがって、短い人生で多くの知識を得るために必死に学ばなければならないのです。しかし、人の気力にはかぎりがあるため、学ぶ対象をよく選んで、そこに集中することが大事となります。あまりに欲張ると得ることよりも失うことのほうが多くなるからです。
「涯(かぎ)りあるを以て涯りなきに随(したが)う、殆(あやう)きのみ」との荘子の言葉は、学ぶことに反対しているのではなく、知識を求めるなといっているわけでもありません。ここでいうのは、書物は大海のように豊富にあり、世の中の智慧や知識は無尽蔵にある。とてもそのすべてを知り尽くすことはできず、一部を知るのみにとどまる。気力にはかぎりがあるのだから、学ぶ対象をよく絞りこみ、学ぶ順序も決めておく、何でも学ぼうと思い、何でも読みあさろうとすれば、結局は何も身につかずに終わるであろう、ということです。
人の欲望にはかぎりがありません。そのことを気づかずにいると、「蛇が象を飲みこむようなことになります。つまり、飲みこもうとして飲みこめず、吐き出そうとして吐き出せず、進退きわまる羽目に陥る」のです。
したがって、知識は無限、智慧も無尽蔵、富への欲望もかぎりがないのですから、すべて手に入れようとしてはならないというのです。
自分の人生をよりよく生きるには、無茶をしないで日々を過ごす智慧を体得、体感しましょう。心学は知識の学ではありません。イキイキと日々を過ごす学です。何でも学ぼうとし、何でも手に入れようとすれば、自分の才能や知恵を早々に消耗してしまい、本当の踏ん張りどきにはすでに力尽き、もはや心身の健康を保てなくなるのです。
楽しい人生をすごしましょう。一つの道を一つの知識で、私は「一隅を照らす、ポストにベスト」のみです。そう在ることが不思議に多くの人に活かされるのですから人生とは摩訶不思議です、一つのことを大切に分相応に過ごしよい一日を。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
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