ときおり

おはようございます。

おかしな話しですが、時折何で僧の世界に入ったのだろうか?などという思いがふと頭の中を過ぎります。考えて見ますと、一つには逃避だったのかな?とも思っています。自分では前向きと考えていたのですが?、よくよく考えて見ればやはり逃避だったのでないかと思わずにはおられません。
愚図だった私は「人並み」という言葉や「人と同じように」という言葉が嫌いでした。人と一緒にやりたいという気持ちは大いにあったのですが、人並みに、人と同じようにできなかったのが事実です。そのことがイヤだったに違い有りません。
逆に考えれば、人から「出来ると言って欲しかったけれどできなかったのでイヤだった」のでしょう。一人悔し涙を流したこともあります。
これまで世間を見渡し、苦しんでいる人を見ますと、お金で苦しむ人は「お金を欲しがっている人」、人気を得たいと思って苦しんでいる人は「人気を欲しがる人」、地位やポストで苦しむ人は「地位やポストを欲しがる人」のようです。
この世界に入り「我(が)が己を苦しめる」ことを教えてもらい少し苦しみから解放されたような気分になりました。
水の流れに従うように、縁に従えと法に師に教えられ、それが自由に生きることだとも教えられ。「不自由は願うから起きるのだ」と、そうだなと最近しみじみと思います。達観はしていませんが、縁はどうしようもなく、しかし必要だからこそ縁となったと、その縁から「禍を見ず、物事のよい面を見るようにと教えてくれた」ように感じるようになったのです。
ですから逆らわず、素直に縁に従おうと考えて日々を送っています。私は私以上にも以下にもなれないのですから、私で在りたいと思うのです、私で在るしかないのです。このように思ってからは随分と楽になりました。
人を大切にする、人を素晴らしいと考える。これらは何も打算で思うのではなく、出会いは縁です、自然です。その出会いで背伸びせず、見栄を張らず、無理をせずに精一杯あればいいのだと思うのです。縁が己の課題を与え、磨き高め、輝かせてくれるのですからありがたいと思うことなのでしょう。 
今年は「美しい我」としましょう、という話しを年頭にしました。美しい我とは「人のために生きること、生きられること」です。我(が)を悩みのためにするのではなく、人様も苦しんでいるのは同じなのだと考えられるようになったのもお陰です。
だからこそ人様のために用いることが「美しい我・義の人」ではないかと思うのです。これであれば苦しむ事も、悩むことも少なくなるのです。「自分我(じぶんが)」という我(が)に翻弄されないように暮らすには「欲しがらず暮らすこと」。美しい我を生きられるのも私であり、苦しんで生きるのも私です。であるならば美しい我を生きたい。そうは思いませんか皆さん。今日も少しだけ我を引っ込めて過ごしてみましょう。きっと歩む道が広く清々しく感じるはずです、私は人様に誇れるものは何一つありませんが「自分我(じぶんが)という我を引っ込め縁に従ってコツコツと歩めたことを幸せと喜びを感じ感謝しています」。
人様と衝突するのは「正しいと正しいの衝突」です。本当に正しいのであれば衝突などしないはずです。なぜならば、相手を考えない考えは正しくはないのです。我を引っ込めて今日も楽しく良い一日としましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
不登校・ひきこもり自立支援・一時避難のオアシス「特定非営利活動(NPO)法人こころのはな」はいつでもお電話でのご相談を受付ております。0774-45-5561(斯波(しば))、がお待ちしております。メール相談も承っています。e-mail shiba@kokorono-hana.com。ご両親のダイヤルを回す、キーを叩く少しの勇気がお子様の希望の火を灯します。HPもご覧になってください。
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「こころのはな」は「自分が自分にチャレンジする空間」です。自分で一日のスケジュールを考え、やりたいことをやり、学びたいことを学び、聴きたいことを聞くという「自分チャレンジ」の空間、自分で未来の扉を開く空間です。