どこからか

おはようごいざいます。

愛宕寺「彼岸会法要」雨の中おまいりありがとうございます。皆様のご先祖様に感謝するお姿、お慕いする行動に接しとても嬉しい時間でした。感謝、慕うという気持ちは理屈ではありません、どこからか瞬間に湧いてくるものです。だから気持ちがいいのかもしれません。
この瞬間に感じた気持ちを大切にしたいと思っています。理屈で何事も進めていこうとしますと、先日Tさんがコメントで書いてくだされたように、「理論では通じるようになっているのだが、現実に通じないときがある?」、「一生懸命にやったのに何でや?」と理責めで考えてしまいますと腹を立て自棄(やけ)を起こしたり、人に責任を転嫁したりと、問題の解決どころか騒ぎを大きくしてどうしようもなくなるという事態を起こしかねません。
自棄を起こしたり、人を責めたりしますと、今まであるものも、これから先に来るであろう幸せも、すべて手からこぼれてしまいます。自暴自棄になってしまうことは本当の意味で道理、論理を信じていないということです。わがまま勝手に道理を思いのままにしようとしていたのです。
何でという事態が生じたとき、「こんなこともあるんだなぁ〜」くらいに考えられるようにすることも大事です。これも、道理、論理です。
要するに真に理屈を知って「不測の事態が生じたとき理屈を超えて受け入れるという感謝の気持ちを養うこと」です。論理を道理という言葉を使って用いるのは、「道中に何があるか解らないのだぞ」ということも教えているのです。
だいたいが自分の理屈の範疇を超えて存在しているのが現実です。この世を解ったような気になっているのが私たちの自惚れではないでしょうか?、
その不都合な現実を直感的に我で腹を立てるのではなく、このようなことが二度と起こらないようにと、「人様のために生かすためにはという直感、感謝、慕うという人間に具わっている崇高な情念、情緒を大切にする」ことが大事です。
携帯電話でも有線電話でもだいたいが目に見えない電波が音声になると言うこと自体不思議なのですから、形があるのは必ず滅びるのが自然で、同じ形態を保ち続けることなど不可能なわけです。それが形が無いのであればなおさら通じないということもあり得るのだという気持ちに気づかせくれるのが感謝の心です。
いつもいつも理責めをするのでは無く、愛情、思いやりという私たち人間にとって大切な心で受け止めることではないでしょうか。
その一番の不思議、理屈では割り切れないことが親子です。何でこの両親の元に生まれてきたのであろうと、それを宿世(しゆくせ。前世からの因縁)として受け止めなさいという御仏の教えです。
何でなどという理屈で推し量ろうとすれば、こんな貧乏に生まれてきたくなかったなどと、これまた自暴自棄になる愚を犯すのです。目の前の今を大切に感謝する、親を慕う、ご先祖を敬うという「今を大切にできる人が素晴らしい明日という宿世を宿す」のです。今日が無ければ明日は無いという理屈を素直に感謝している方が昨日沢山おまいりいただきました。
今日もご先祖様に手を合わせて一日のお仕事にかかってください。良い一日でありますようにお祈りいたします。
今夜は「にんげん学」神戸講座「論語を読む」です。孔子も「神在(かみいま)すが如く」という思いで日々祈りを捧げたそうです。目の前にご先祖様がおられるのだとの思いです。神戸地区の皆さん目の前の人を大切にせずに素晴らしい人とのご縁はいただけません。明日という確かに来る未来を大事にしたいのであれば足下を大切にしましょう。お会いできますことを楽しみにしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
神戸講座での定宿に入り窓から見た雲に魅せられて。









不登校・ひきこもり自立支援・一時避難のオアシス「特定非営利活動(NPO)法人こころのはな」はいつでもお電話でのご相談を受付ております。0774-45-5561(斯波まで)、お待ちしております。メール相談も承っています。e-mail shiba@kokorono-hana.com。ご両親のダイヤルを回す、キーを叩く少しの勇気がお子様の希望の火を灯します。HPもご覧になってください。相談することで気持ちが楽になります、楽になりますと心に余裕が出てきます。そこから又光が見えてきます。
どのようなことでもお話しください、抱え込まずに相談する勇気がお子様の勇気となります。お待ちしております。
「こころのはな」は「自分が自分にチャレンジする空間」です。自分で一日のスケジュールを考え、やりたいことをやり、学びたいことを学び、聴きたいことを聞くという「自分チャレンジ」の空間です。自分で未来の扉を開く空間です。