改める

おはようございます。

毎日ブログを書いていますが、何度も読み直し、読み返しして誤字や脱字に気をつけてはいますが、やはり、見事にあります。
そこで、ありがたいのは、誤字、脱字を知らせて下さる方々です。昨日もNPOと打ったつもりが、NがMになってMPO、書き出しなのになぜわからなかったのか?、書き出しからの誤字、それを指摘くださり、訂正しました。Iさんありがとうございます。
「過(あやま)ちてば則(すなわ)ち改(あらた)むるに憚(はばか)ることなかれ」。「改めれば過ちではなくなる」。いいですね、この教え、だからというのではありませんが、結構間違っている、甘えかな?。誤字以上に人生の在り方に於いて、改めるのに憚ることなく、過てば改めなければいけません。
日常の対人関係の中で、良い関係の時もあれば、悪くなるときもあります。人間関係がギクシャクしたときの対応で人格を豊にしていくか、縁を切らずに保てるかです。
私は自分から縁を切らないという接し方をしています。それは人様から「学ぶ」という姿勢、それ以上に「自分が必ずしも正しいとは考えていない」からです。
論語、里仁(りじん)第4、7条「子曰わく、人の過(あやま)つや、各々其(おのおのそ)の党(とう)に於(お)いてす。過ちを観(み)て斯(ここ)に仁を知る。」
人柄というものは失敗からわかるのだと孔子は言うのです。人はよく同じような場面で間違いを犯します。その間違いを観察しますと、その人柄が理解できるというのです。
人は誰でも失敗します。事の大小はさまざまですが、なぜか同じようなシーンで同じような過ちを犯してしまうことがあります。どんな人でもそのような経験をしたことがあるのではないでしょうか?。
ここで孔子が注目したのは、失敗をするかしないかや、どんな失敗をしたのか、ということではなく。
それは、「どうしてその人が同じ場面で間違いを犯してしまうのか」ということだったのです。それを考え、その人が「その前後の行動を観察すれば、その人がどんな人物なのか自然とわかってくる」というのです。
孔子は、「人間の過ちというのは捉(とら)われの心から生まれる」と考えていました。そのため、犯した過ちをこまかく観察すれば、その人が何に捉(とら)われているのかがわかるというのです。
そうすれば、その人が何に固執しているのかがわかり、さらには「その人との接し方もよい方へ変わっていく」というのです。
また、これは「自分にも当てはまること」で、自分が起こしがちな失敗やミスを、どうして起こしてしまうのかと検証してみると、「自分が捉(とら)われているものが何かがわかる」のです。それを知るだけでも、「良い方へ進んで行く」というのです。
人様をすべて理解することは「不可能で難しいこと」ですが、この条で孔子は、人様を少しでも理解するための方法論として、人様が「何を考え、どんなふうに行動を起こすのか、よく人を観察してみれば新たな関係を築ける」というのです。そして一番は、自分を視ることができることが大切だというのです。
私たちの言葉は全て正しい言葉を発します。だからこそ人を知ることが大事です。知るとは「人を知ることだ」とも孔子は言っています。知識を知識とするのもよろしいですが、やはり人を知り、己を知ることは大事でしょう。正しい言葉を発しているのに衝突する?おかしな話しです。
孔子は「捉(とら)われがあるからだ」と教えています。学びましょう、学べば「頑固さが少なくなります」。素晴らしい週末でありますように。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
庭のミカンが、嬉しいですね。