自分なりに

おはようごいざいます。

昨夜は「にんげん学」小倉講座「老子を読む」、ご出席の皆さんありがとうございます。私が歩んでいます「仏道」を説いた「お釈迦様」、Taoイズムの「老子」そして論語を説いた「孔子」、日本の思想の底辺にこの三人の存在があります。
一様(いちよう)に「差別即平等(さべつそくびょうどう)」を説いています。だからこそ魅力です。「違いがあってこその平等、違って当たり前」と。差別感を抱いていた私には救いとなりました。「自分なりに輝ける」のです。長く読み続けられているということは万人の心に「平等感がある証」、こう思えるようになったことも心学のお陰、それから人を信じることが楽しくなった。
昨夜皆さんとご一緒に学びました「老子」は生涯「無名」を旨(むね)としました。このことも私に勇気を与えました(無名なのに有名になりたいという愚かな考えを捨てさせてくれた)。また世に出ることをせず、民間の人と仲良く暮らし、在野(ざいや)にあって自由人としてこの世を送ったのです(世に出たいと馬鹿な考えをしていたのが、目から鱗(うろこ)、真理に即した在り方であれば、知る人ぞ知るのですから?、私のことではありませんから、そんなに自惚れてはいません、こういう言い訳を書くこと自体があやしい?はい、凡人の極み)。
老子にとっては、立身出世とか名誉のために汗水たらして努力することなど、まったく無意味なことであったのです。老子はその生涯を、おとなしく、柔和に、あたたかく、寛大な態度で静かに送ったのです(うらやましい)。だからこそ生涯多くの朋、同志を得た。
老子のこの生涯と、伝教大師の「一隅を照らす」生涯が重なります。老子は、人間の生命は自然がつくり、自然が育てている事実をなによりも大切に考えていました。二宮尊徳が若い頃、叔父に少し働けと言われ、稲の苗をもらい、田んぼに植え、余った苗をあぜ道に放っておいたところ、あぜ道に放っておいた苗も育っていた事実を見て大地の徳、自然の力を実感「尊徳」という号をつけたのです。二宮尊徳老子と同様に自然が育てている事実を何よりも大切にして「積小為大(せきしょういだい)」(小さいことをコツコツ積み上げれば大きくなる)という道理を貫き「篤農家」として世間に名をとどろかせてしまった。
老子は、人間が、もっと深くそのことを自覚して、自然といっしょに、自然のように生きることを目指したのです。
人間の悩みは、世間の価値観に振り回されることから生まれます。または、世間の「よい」「悪い」という善悪の考えの狭間(はざま)にのめり込むところからも生まれます。世間の価値観は、その時代だけのものです。だからこそ孔子の説いた「温故知新(おんこちしん)」(故きを温ねて新しきを知る)が大事です。
世間に流れている「よい」とか「悪い」とかの判断も、その時、その場、その人だけのものではないか?(権力者、上位にある者)と老子は静かに語りかけるのです。迷っているとすれば、深い意識の中で自分の魂が「何か変だぞ、おかしいぞ」と自分に問いかけているのだ、「気づけ、気づけ、目覚めろ、目覚めろ」、というのです。
そんな世間の価値観に振り回されて「ウツになったり」「ひきこもったり」「出社拒否となったり」するのではないでしょうか?
そんな迷いを晴らしてくれる「老子」「心学」をご一緒に読みましょう。そしてご自身で味わってください。真理の旨味(うまみ)を知れば忘れられなくなり、身につきます。そして清々しく楽しく在ることができます。各会場でお待ちしております。
今夜は「にんげん学」神戸講座、神戸地区の皆さん待っていてください。今日も素晴らしいことがありますようにと、期待せず、期待しますと裏切られるのが相場、信じて過ごしましょう。自分を信じることほど人間が美しくなるものはないのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
今朝、小倉港で撮ってきました。

煙突から出ている水蒸気の半分にお日さんがあたって、何か言っているように感じたので。