上に立つ者の自覚

おはようございます。

台風による大雨で残念ながら各地で被害が出ました。お見舞い申しあげます。一日も早い復興を願っております。このような報に接する度に自然への畏敬(いけい)の念を感じます、感謝の祈りを捧げましょう。
昨日は9月9日で重陽節句でしたが、「救急の日」でもありました。皆さんは救急車に乗ったことはありますか、自慢ではありませんが、私は3度お世話になりました。一度は交通事故、二度目と三度目は多分「貧血で意識不明となり」救急車のお世話になりました。しかし余り乗り心地は良くありません、そして周りの方に迷惑(心配)をかけます、皆さんはお世話になりませんように?。
昨日、九州のTさんが台風の中、大阪に移動し、今日は同業者他社の皆さんに講話をなさるそうです。コメント中で「上に立つ者としての意識、自覚の大切さ」が書かれていました、素晴らしいことです。そこで論語の下の条を思い出しました。
論語、憲問(けんもん)第14、44条「子路(しろ)、君子(くんし)を問う。子曰(しい)わく、己を脩(おさ)めて以(もっ)て敬す。曰わく、斯(か)くの如きのみか。曰わく、己を脩めて以て人を安んず。曰わく、斯くの如きのみか。曰わく、己を脩めて以て百姓(ひゃくせい)を安んず。己を脩めて以て百姓を安んずるは、堯(ぎょう)・舜(しゅん)も其れ猶(な)お諸(こ)れを病めり。」
意は「孔子の弟子の子路が質問をした。
「君子とはどういう人物のことですか」
「自己の修養に励む独立自尊の人だ」
「自分のためだけの人物ですか」
「自己の修養に励み、周囲の人びとを安らかにする人だ」
「周囲のためだけの人物ですか」
「自己の修養に励み、万民を安からにする人だ。これは、聖王と讃えられた堯王や舜王様たちでさえ、ご苦労なされた事だ。」。
まず自分が充実していれば、周囲との関係もよくなり、ひいては人間社会全体もよくなるというのです。要するに、何をおいても、まずは「自分をキチンとする」ことを最優先せよということです。
これは自分をしっかりと愛することだ孔子は言っているのでしょう。自分を愛すればこそ修養に励むのです。自分を粗末にしているような人間は修養などという話しはほど遠いのです。修養がほど遠いから、何も手に入らない人生を送る羽目になるのです。人生は切磋琢磨出来る朋、同志があることほど悦びはないのですから。
人間的成長は孔子は「恕(じょ)」だよ、と言っています。「おもいやり」です。人を思えばこそ「人の喜ぶことを提供出来る仕事が可能」なのです。
衞霊公(えいれいこう)第15、24条「子貢問(しこうと)うて曰わく、一言にして以て終身これをおこなうべき者ありや。子曰わく、其(そ)れ恕(じょ)か。己れの欲せざる所は、人に施すこと勿(な)かれ。」
意は「子貢が「ごく短い言葉で、生涯、座右の銘にすべきものはありませんか」と尋ねたので、「それは恕(思いやり)かな。自分がされたら嫌だと思うことは、人にしてはいかんよ」と教えてやったよ」。
「自分がしてもらいたいことを、人にしてあげること」です。表現は裏腹ですが、同じ事です。
自分をきちんとして、恕を大切にすることが、人として企業人としての成長も自ずから叶うというものです。今日も修養を大切にしましょう。
お陰様でブログをお訪ねいただきます読者数が延べ人数で百万人を超えました。自分でも驚いています、というより本当にビックリしています。ブログを書き始めて約9年、2年前に10日ほど入院したおりにお休みさせてもらっただけで連続で毎日書かせていただいています。これからもよろしくお訪ねください。改めましてお礼申し上げます。良い一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
※学生の皆さん、「NPOこころのはな」で挑戦してみませんか、一度お訪ねください。NPOで果てしない夢を追ってみましょう。