欲望をコントロール

おはようございます。

茨城県、栃木県の皆さん、鬼怒川の堤防決壊で大きな被害に遭われました。心よりお見舞い申しあげます。自然の前には為す術もなく茫然としてしまいます。又この度の台風の大雨で被害に遭われました皆様には国を挙げての支援をお願いしたいと思います。それと私たちもできるかぎりの支援・協力をしましょう。
人間の欲は限りないものです。心学の書はまったくもってありがたい、自分を戒めなければと読む度に心新たに思う。どの年令においても「欲望をコントロール」できなければ、己自身で迷いの道へと歩み出してしまう。私は大丈夫という思いは最も戒めるべきです。
人に意見されて聞くような人は多くありません、なぜなら、悪いと思っては行動しないのが人間。「過てば改むるに憚(はばか)る事なかれ」とできる人は少ない、だから注意を喚起するには「言葉を選ぶこと」ですし、聞く耳を持つ人間性を養うため、心学を修めておくことです。一言で争いとなったなどは数えれば際限がないほどあります。そのためにも心学は大事であることを気づいて下さればありがたい。
論語、季氏(きし)第16、7条「子曰わく、君子に三戒あり。少(わか)き時は血気未(けっきいま)だ定まらず、之(これ)を戒(いさ)むること色(いろ)に在(あ)り。其(そ)の壮(さか)んなるに及んでは血気方(まさ)に剛なり、之を戒むること闘(とう)に在り。其の老いたるに及んでは血気既(すで)に衰(おとろ)う、これを戒むること得(とく)に在り。」
意は「人格者には三つの戒めがある。若い時分は血気盛んで気持ちは不安定なので性欲を慎(つつし)め。壮年になると血の気だけが多くなるので闘争欲を慎め。年老いたら血の気は引いてくるが、名誉欲を慎め。」
「欲望が欲望を生む人の心はコントロールすることが大切」だと孔子は説きます。少年期、壮年期、老年期という年令による区分を「起承転結(きしょうてんけつ)」に置き換(か)えれば、起は二十代、承は三十代、転は四十代、結は五十代から指すのではないでしょうか。
「若いときには性欲、壮年期は闘争欲、老年期は名誉欲に惑(まど)わされるな」と説くのです。心と欲望を上手にコントロールできてこそ人間としての「徳」が備わるという教えです。
確かに若いときは、感情に走りがちで、外からの誘惑や人の言葉に引っ掛かりやすいのが事実です。
壮年期には経験を経(へ)たぶん、自信も高まり、自分の考えを主張しすぎるので争いやすくなる、要注意です。
老年期は若いときほど生きる張り合いや楽しみもなくなり、名誉や意地が気になってくる。いくつになっても欲望は生まれることを知るべきです。先日の司法試験の指導をしていた教授の顛末から、指導者として何の夢も希望も志も感じられない情けない恥ずかしい話し。
「何かを手に入れたいという心の欲望は、生きる上での苦しみを喚起するだけ」。生まれる欲望は千差万別でしょうが、その欲望を慎むことができた人が「人徳を身につけることができる」と教えるのです。まぁ、失敗をしないような化け物は人間的魅力はありませんが、自分を周りを傷つける失敗はいけません、要注意です。
最近の皆さんを見ていますと、志と欲望が混同しているようにも感じます。どんなに年を重ねても、欲望は生まれます。理性や冷静さを失って志(夢)を欲望と錯覚しているような人は、周りから信頼される人物とはなり得ません。
世の中のありがたい仕組みの中で悲喜交々が味わえるのです、その悲喜交々が、「上や下や、先や後やの、多い少ない」とバカなことで争ってはなりません。
先人が後進のためにと作ってくれた様々な仕来り仕組みで、今まで知らなかった人に頭を下げていただいたり、仕事の場をいただき、親からいただいた才能も発揮させていただける。そして多くの仲間ができるのですから、喜び感謝しなければいけません。
それが血気で何もかもパーにしてしまうようでは、よろしくない。今日は少しだけ自分をコントロールして過ごしてみませんか?。さらに楽しい人生となりますよ、皆さん。
今日から一泊二日でCMA様主催「リーダーシップ禅寺研修会」が開催されます。研修受講の32名の皆さん、気をつけて入山下さい。非日常の生活、価値観の違う中、まっ白な心で受講いただければありがたいことです。お待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌