凹んだら

おはようございます。

涼しい今朝です、9月後半に入ります。いつも書きますが、出だしはあまり力を入れすぎないことが大事です。途中で力尽きてはいけません。「こんなはずではなかった」となってしまってはよろしくない。自分の中でだけ夢を膨らませることは結構ですが、地道な積み上げがあってこそです。そんなことに注意しながらの一週間、後半としましょう。
「凹んだら、まだまだ高く大きく飛べるんだ」ということを思える人は、多くはないでしょう?、いかがですか皆さんは?。私も、へこたれないぞ〜、チャンスが来たぞ〜となるまでは苦悩しました。
ところが老子は「凹めばこそ力が蓄えられるのだ」と。しかし、そう教わったとしても、問題に直面して凹まずにおられる自分を作れるかどうかが問題なのです。問題だからこそ、凹んだとき、問題が起きたとき「自分の対処法、考えを確かにしていなければいけません」。
老子は「窪みがあるからこそ、水はそこにたまり、あふれ出す。衣服は破れるからこそ、新しいものに変えることができる(失敗したら新しくやり直せる)」と教え、「凹んだときがチャンスだ、失敗したときがチャンスだ」と。
挫折や失敗をすれば、人の心は凹みます。落ちこめば、誰でも、「自分のなにが悪かったのだろう?」「どうすればよかったのだろう?」と、くよくよと悩み、反省します。
その結果、「同じ失敗を繰り返さないためには、ここに注意すればいい」と気づくことができるのです。また気づくべきです。外に原因を求めては同じ事を繰り返すからです。
「負けて破れるからこそ、古いやり方を捨てて、新しい方法を試すことができる。新しい服を着るような、新鮮な気持ちで再スタートできるというのです」。
なにもかも満月のように完璧に揃っていて、欠けたところが一つもなければ、悩み、進歩することもないのです。つまりそれは「今以上に成長し、喜びを味わうこともない」のです。きっと面白くない人生でしょう。人間的に魅力も感じないでしょう。
苦しみから逃げた人は、新しい洋服を着る、新しい自分に出会えるという悦びも味わえず、ひたれないのです。新しい方法にチャレンジし、行動しなければ、「その場から逃げたとき、一瞬だけ未来への希望を感じるという堂々巡り」の人生を自分から作ってしまうのです。
「凹むからこそ、なにかを得ることができる!」最高の教えです。そう考えられるようになりますと、「思いっきり失敗して凹むのも、悪くはない?」という「覚悟ができます」。
私はやせ我慢をけっこうしてきました。「心が凹み、悔しい思いを経験することは、一歩、成功に近づいていることにほかならないのだ」と老子は教えるのですが、なかなかこの心境に至るまでは、遠かったですね、時間がかかりました。
「失敗のお陰で、自分はさらに大きく成長出来たのは事実」。最近楽しんでいますゴルフでチョロしたり、池ポチャしたり、だふったりしますと、凄く悔しい思いをします、そして恥ずかしくもあります。しかし老子の教えを自分のものにしたときから、失敗は修正する箇所を教えてくれるものと、悦びに変わり、次に打つときに意識して注意できるようになったのです。
以前は、注意し意識して修正しようという気持ちにならず、ただただ上手く打ちたいという思いばかり、「修正しようという気持ち、修正するチャンスだなどと受け止められず」、ただ上手く打ちたい、ばかり、そんな思いでは上達するはずもありません。
今は修正して、失敗を乗り越えたときの悦びは忘れられなくなり、「失敗のお陰だ」と思えるようになりました。その時から、失敗してもポジティブにとらえられるようになり、今私は次の成功への一歩をふみだしたのだと、思えるようにもなったのです。心学は素晴らしい自分を更に進化させます。
今夜は「にんげん学」京都講座、明晩は大阪講座です。ご一緒に「老子」を読みましょう。凹んだら、「まだまだこれから!、人生は宝庫」と思えるようになります。素晴らしい一週間でありますように。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌