無為

おはようごいざいます。

「にんげん学」京都講座ご出席の皆さんありがとうございます。昨日は朝晩はとても涼しかったのですが日中は気温があがり、暑かったですね、体調管理にはくれぐれも気をつけてください。
一昨日の日曜日生まれて初めて体験しました。一日中、体に力が入らない、夏ばての感じ(夏ばての感じはわからないのですが?、こんなんかな?と)、一日中ぼ〜っと過ごしました。体に力が入らないなどという事は未だかつて経験したことがありませんでした。こんなこともあるんだな〜と逆らわずに一日ぼ〜っと過ごす。
無為(むい)、昨日は老子63章。「あえて何もしない」という話。いつも作為的にやっているから、「にんげん学」京都講座の「老子を読む」は「作為を捨てよ」という話ですので、前日、体を通して老子は私に語りかけたのでは?と思いました。(勝手な解釈ですかね?ただの怠けですね?はい。老子様失礼しました。)
「無為とは、何もしないということではない。
大自然のなすがまま(今自分が置かれている世界)、あるがままに従うということさ。
人間(自身)の小賢しい知恵を使って、
よけいなことをするなといっているんだ。
だから、何もしないということも、
行動の一つなんだ。」
知識や技術を体得して「こうでなければ、という考えにとらわれるな」ということです。枠を作ってしまうと不自由になるぞ、無限の可能性を自ら否定するのだぞと老子は教えます。
「如何ともし難い力関係」は現実に必ずありますし、相手が変わっても続きます。その関係を変えようとするのではなく、どんなことにも、今ある知識、技術で淡々と精一杯、一所懸命対応しなさいと教えるのです。
だからこそ少しずつ成長進化するのだと。「何でこんなことをと作為的になって、争う愚を犯してはいけない」と教えます。争えば、成長はそこで終わるよ、目の前のことを否定すれば、そこで終わるよと。
それよりも、今できる知識、技術で対応することで、あなたに相応しい仕事やチャンスがもたらされ、少しずつ成長進化を遂げていくのだから、欲で作為的になって自ら破壊の道を進むなと教えます。無為は「何もしないのでは無く、少しの知識で作為的になるな」と説くのです。そして「争うな」と。
今夜は「にんげん学」大阪講座「老子を読む」です。老子63章「無為の話」。ご一緒に読み、無為を実感しましょう。講座前に「ぶら和尚」があります。予定はブログに掲載しています。今日も無為に過ごし楽しい一日としましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
「にんげん学」京都講座後の懇親会「洋食・ぼんじゅーる」さん、ごちそうさまでした。昨夜も美味しくいただきました。
和牛のポン酢和え

和牛の一口カツレツカクテルソース

和牛のハンバーグカレーソース

和牛のすき焼き風