紆余曲折

おはようございます。

今朝も小雨がぱらついています、強くならなければと願っています。悩みをお持ちの方の相談をお受けします。いろいろなケースがありますが、共通している考え方があります。それは「得意なものがない」と言うことです。「あれも、これも、ダメと」いって、「駄目な理由」を上げて「できない理由にしている感じを受けます」。
この世に自信のある人などいるのでしょうか?怪しいものです。私自身自信などまったくありませんし、勉強も不得手です(今でも大の苦手、しかし毎日祈り心学の書を読む暮らしはしています)。ただただ日々祈り学び歩んでいるだけです。
一昨日は「にんげん学」大阪講座「老子」を皆さんと読みました。どれほど私は老子(心学)に助けられているかしれません。「どうあるべきかの指針、生きる姿勢が確かに書かれて在る」からです。
老子はこんなことを言っています。「ちょっと曲がった完璧でないあなたこそ、もっともパワフル」だと。不出来な私が「パワフルだ」というのですから、驚きです。
老子22章に「古(いにしえ)の人は、曲がった木こそ、その天寿を全うできる。まさしくそのように生きる人が、いい人生を全うできる」のだと。
不出来な人間が天寿を全うできるのだと、何故か、家や家具の材料として、森からまっさきに伐りだされるのは、まっすぐキレイに伸びた木。曲がりくねった木は、加工して使いにくいため、伐られることはありません。ですから、曲がりくねった木は、「幸運にも与えられた命をまっとうできる」というのです。
生まれ持った性質を偽り、世間の評価に合うように自分をつくれば、一生涯、虚飾の自分を演じつづけなければならず。それは苦しいことです。東芝の粉飾事件が、この教えを如実に証明しています。このようなことばかりではなく、背伸びして無理してつき合っている、というふうに感じられる人が多く見受けられます。そんな生き方を捨て、自分に素直に生きなさい、と老子は教えます。
老子は「人と異なる部分があったとしても、それをありのまま受け入れる人が、自分らしく輝き、幸福な人生を手にすることができる」というのです。いかがです、勇気が出るでしょう。わたしはこの章をよんだとき、震えがきたことを覚えています。
優れた経営者や大発見を遂げた人には、幼いころから他人とはちょっと異なる考え方をしていた「変わった人」が多くいます。
そんな彼らは、学校では「落ちこぼれ」と見なされ、会社では、真っ当ではないと、出世ルートに乗れなかったという人が多いのです。
しかし、彼らは、決して自分を「ダメだ」などと思って自分の心を痛めつけないのです。「自分の現在を認めてがんばって、自分のペースで高めた」からこそ、世間がアッと驚く偉業を成し遂げられたのではないでしょうか。老子の教えそのままです。老子の教えや、そんな彼らを見ていますと、私は勇気づけられます。
このようなことは「性格」や「才能」にかぎらないと思います。事実、長い「人生」において、紆余曲折、挫折を感じ「回り道をしたからこそ、得られる」というものは、必ず多くあるのではないでしょうか。私は不出来だったからこそ蛇行せざるを得ずして今日があることを実感しています。
蛇行、紆余曲折したからこそ、普通では出会うはずもない、素晴らしい人とも出会えたのだと感謝しています。
一時は親からもらった命を「疎ましく感じた事もありました」「なんで私には才能がないのだ」と。しかし「心学と出会い、考え方、人生の指針、姿勢を学んでから」は、周りの人とのペースに合わなかったとしても、周囲の人を尊敬しながら「決して己を卑下しなかったからこそ」「素晴らしい教えと、師友とも出会えたのだと実感しています。」ご相談くださる方々に上のような話しをさせていただくのです。
卑下せずに歩めば、回り道して得たもので生かしてくださる素晴らしい方と出会えるのです。今日も偽らずに歩みましょう。パワフルなあなたを実感できるはずです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌