お中日

おはようございます。

今日はお彼岸のお中日です。心華寺では「秋季・彼岸会法要」を午前10時から行います。是非おまいりください。ご先祖様を敬い、お慕いしての供養、大切な日です。
松尾芭蕉がお彼岸は何をするときだろうと自問自答して次の句を詠みました。「けふ彼岸 菩提の種をまく日かな」。
彼岸という今日を迎えた芭蕉は「自分に問いかけました」、「なにをすべき日だろうか?」と。そこで出た答えが「菩提の種をまく」ということでした。
菩提とは「気づく」ということでもあります。その気づきの「種・きっかけをつくるのが彼岸だ」ということです。素晴らしい気づきですね、私はどうかな?と、自分に問いかけてみました。芭蕉のように気づけないなぁ〜と正直感心してしまいます。それと共に、この芭蕉の句を読めたことで気づかせていただいたことに感謝しています。祈ること学ぶことは「気づくことだ」と改めて知ったようです。
気づきの「気」とは、「空気」「元気」など、目に見えないものを指します。ですから「私たちが生活していて普段見えていないものを発見する、それが気づき」です。
いつもは見えない、目立たないが、いざとなったら助けてくれるもの、私たちは「数多くそういったものに生かされている」といえます。その一番が「ご神仏であり、ご先祖様」です。私たちは、「自分の力が及ばないことはあるものだとして祈る」のです。こういう謙虚さを持っている人にやはり、素晴らしい「ご利益という天命が授かる」のです。
その思いの大きな行動が、ご先祖様のお陰だと気づき「日々供養を怠らない」のです。供養を怠らない家庭は、支えていただいているという気づきをしますから、家庭や、社会でも無意識裏に感謝の行動から「周りを支えさせていただこう」という「空気。雰囲気を生みだし」、そのような人は「無くてはならない人」「無くてはならない存在」となり、豊かで充実した生きがい、やりがいのある繁栄の道を歩んで行くのです。
供養は、もとは供給資養(くきょうしよう)という言葉を略したものです。供給とは文字通りお供えをすること、資養とは資(元手(もとで))を養うことです。
このうち供給の意味が、供養という言葉のイメージを強く表していますが、忘れがちなのが資養ということです。では、私たち人間の資・元手とはなんでしょう?。それは「心・こころ」に他なりません。私たちの「すべての行動のもとは心だから」です。「行いのもとである自分の心を養うということが、いい加減になってはいないでしょうか?」。
自分の心を養うとは「周りの人たちへ尽くすために祈り学ぶ」ことです。ご先祖様の供養をすることが心を養うことでもあります、お仕事にでかける前に、ご先祖様がおられるからと、自分の前にご先祖様が在ることを感謝し、行動。お仕事から帰られ、ありがとう、お陰様ですと頭を垂れる。このような行動が心を養うこと、心の元手も養うことです。
このようなことをお中日であります今日の休日にご家族で話してみてはいかがでしょう。法要は午前10時からです。ご焼香をお待ちしています。お気をつけてお出かけください。全国から供養をお申し込みいただきました皆様、確かにお勤めさせていただきます。午前10時に心華寺の方向に向かって手をお合わせください、よろしくお願いいたします。
そして明日は下関、愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」です。日常の幸せと感謝を祈る日です。午前10時から行います、おまいりください。    

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
近くの田んぼにおりました。何という水鳥でしょう?。


今日の皆様へのお供養です。Kさん毎月前日から泊まり込みでのご用意、ありがとうございます。朝早くから「錦糸玉子」もごくろうさまです。美味しくいただきました。

大学の落研で鍛えたSさん「小話と謎かけ」で皆さんは大喜びです。来月もよろしくお願いします。