良縁に変える

おはようごいざいます。

愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」おまいりいただきありがとうございます。法要が始まる前までは時折小雨がぱらついていましたが、法要が始まる頃には雨も上がりありがたいことでした。肌寒さを感じましたが、お昼からは暑くなりましたがやはり秋の気配が漂ってきています。
いつものことですが皆さんと祈ります護摩の炎は殊更に美しく感じます、ご一緒する読経の響きも何かしら普段より魂にしみこんでくるのが嬉しい。
私は感じることを大切にします。情緒といいますか、感じることで行動する、突き動かされることが多くあるからです。この情動、感情は自分の心に正直に応えるのです。感じたことで行動、行動したことで又感情が、良し悪しを感じ、悪ければ、何が悪いのかを正直に感じ、良ければ何が良いのかを正直に感じられるからです。素直に反省できるのが気持ちがいいのです。
護摩を修する大きなご利益は、この感情を正しい感情に目覚めさせ、縁を良縁にすることです。現象世界には悪縁はありません。「個人感情、エゴが善悪を感じる」のです。自分が感じた悪縁を人様が悪縁と感じない現実がそれを証明しています。その逆も同じです。良縁を誰しもが良縁とは思わないのです。
一面が二面性を持つことを正直に己の感情で自覚し、すべての縁を良縁とするのが護魔法です。ですから、「護摩木(自分自身)を法に従い消滅し、無に帰する」ことで、出会い(和合)から新しい「芽を生じさせる」ことができるのです。いわゆる相手の立場、考え方が行動が見えてくるご利益がある、それが良い対策ができるという大きなご利益となるのです。
世界はすべて「異質なものとの和合を欲している」のです。自然界は全てとの和合に因って永遠の命が保たれています。いわゆる「仲良く」は誰でも望んでいるということです。仲良くも「新たなものを生み出すことで更に仲良くなる」のです。
和合とは「互いが気持ちよく仲良くできている状態。信頼関係が紡ぎ出されている状態」だから継続できるのです。どちらかが辛抱しているのは打算であり、力関係です、そのような関係は和合ではありませんから、継続はなりません。
護摩は自分の我を消滅させ、異質な物との和合を生み出す最大最高の法です。自分にないものとの和合から全ての生命、物が誕生するからです。
明日は「にんげん学」小倉講座「老子を読む」。老子もTao、自然の和合を説きます。私たちも自然の一部、今の自分が豊かで心静かにあるためご一緒に学びましょう。今日も良い一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
昨日の夕食にOさんからの差し入れです。「鹿児島黒豚の豚しゃぶ」「松茸」「アワビの酒蒸し」「ポテトサラダ」。
ごちそうさまでした。Oさん毎月ありがとうございます。美味しくいただきました。