おはようございます。

今朝もお空に受け月とお星様がキレイに輝いています。いつも以上に嬉しくなり手を合わせました。涙がこぼれるくらいの美しさです。
私たちは「始めあらざるなく、終わりあるは鮮(すくな)し」ということがあります。とかく「始めは脱兎(だっと)、終わりは処女」ということになりかねない。というよりも、むしろそうなりがちです。このようにならないために「心を練る、修養する」必要性があると、しみじみ思っています。
不出来な私は、いつも新しい夢ばかりを追って、追って過ごしてきました。今度こそは今度こそはの連続。いつも始めだけで終わりがない。自分で自分がイヤになってしまったときが何度あったか知れません。
知識は結論に真っ直ぐ、それを真っ直ぐに得られるように続ければいいものを、テストの結果、成績、人の目に(誰も気になどしていないのに、被害妄想)心を奪われ、やっぱりダメと何度も挫折、白旗を揚げる。
知識を得て次に立ちはだかったのが人間関係、え何でと、これ又行き詰まる、そこで気づかされました。「礼と仁と感謝」が必要だと。先人のお陰、親のお陰、先生のお陰、友のお陰と。
孔子が教えていますように、生知(せいち・生まれながらに知る人)でない私、学知(がくち・学んで知ること)が苦手な私。
困知(こんち・困って知ろうとすること)の私、困って漸く必要に迫られ渋々知った。そして学ぶ素晴らしさに気づいたのです。何もできずに口答えをして、可愛くない子どもでした。謙虚に素直に「知るを知ると為し、知らずを知らずと為す」ことができなかった、できないのは周りが皆、知っているにも関わらず、恥の上塗りだけをしていたのです。
思いやり、そして尊敬の念、礼儀、教えていただく、教えていただいたという感謝の行動が大切だとあるとき知ったのです。
人生は何度となく超えなければいけない「関所・関門・難関」が待ち受けています。自分に与えられた関所を自ら乗り越えなければ上に書いたような結果になってしまいます。
よし、やるぞ〜と誰でも一歩を踏み出すのです(始めあらざるなく)。しかし、いろいろな関門、試練・難関に出会ってしまいますと「終わりあるは鮮(すくな)し」となる。いわゆる当初立てた目標を達する人は少ないということになるのです。
ノーベル賞受章が発表されたとき必ずと言ってよいほど思うのです。私たちが受賞者の方々を知るのは報道されて初めて。受章された方はそれまでは仲間の人や身近な人には知られてはいたとしても、ノーベル賞をとれるであろうなどと考えて研究をしているのではないと考えます。
最初の研究を黙々と地道に途中で放棄することなく続けて来られた結果の受章、そして受章されたからと言いましても、それで終わりと言うことではありません。これからも営々と研究が続くのです。続けるからこその受章ではないでしょうか。
これからも私の頭などで到底想像も出来ない様々な通り抜けなければいけない難問、難関、関所が今まで以上に出てくるのではないでしょうか?。
止めるも進も自分自身。力が及ばないから止めるのではない、才能がないから止めるのではない、と孔子は明快にいっています。自分の心を外に奪われ自分が歩みを止めてしまうのです。自分の夢に向かって歩んで行きましょう。そんな力を後押ししてくれるのが「心学」。今夜は「にんげん学」一宮講座、明晩は東京講座です。会場でお会いしましょう。今日もコツコツと夢に向かって歩みを進めましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
「にんげん学」大阪講座に向かうとき、JRの車中から、大阪駅に着く少し前の淀川。「宇治川賀茂川桂川」の三つが合流し淀川となります。どの川も必ず海に流れ着きます。私たちも必ず大海にたどり着くのです。