人生観

おはようごいざいます。

「にんげん学」一宮講座ご出席の皆さんありがとうございます。今回から復習の意味をこめまして論語を私流に項目別に類別して孔子の「人生観」を通し、私たちの具体的な人生観を確立するための一助としていただければと思いまとめてみました。
私たちは人生「どうあるべきか」を具体的に持つべきです。人生観をどのように考えておられますか?みなさんは。具体的に人生観を持ちませんと、何か障害に遭ったとき具体的に「どこをどう直せば良いのかすらわからず、ウロウロする人生を送ることになるのです」。人生観とは「人間の生き方、生き様や生きることの意味に関する考え。人生の価値・目的・態度・具体的・実践の指針などについての考えです」。
「どうあることがいいのか」ということです。孔子はそのお手本を「周公旦(しゅうこうたん)」という人に求めたのです。私は伝教大師様です。もちろん、孔子の生き様にも大いに共鳴しています。
人生歩んで何かにぶつからないということはあり得ません、時にお手本とする先人が、どのように対処したのかをお手本とする人に求め、修正できるのです。人生観が如何に大切かが理解できると思います。いわば、「生き方の目標を立てる」ことが大事です。
具体的に目標を立てませんと、何を知識とし、何を磨かなければいけないのかも具体的になりません。私たちには素晴らしい能力が潜在的に備わっています。その能力を生かさなければ宝の持ち腐れ、せっかく能力がありながら悶々とした一生を送らなければならないことほど惨めなことはありません。
お手本を持ち、確かな人生観を確立して、生涯その道に添って歩みさえすれば、充実した人生と化すのです。その代表的な目標が論語、為政第2、4条に孔子はお手本として示して下されています。
「子曰く、吾れ十有五(じゅうゆうご)にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(みみしたが)う。七十にして心の欲(よく)する所に従いて、矩(のり)を踰(こ)えず。」
これは、「00才をむかえたときにどういうポジションに自分を置くことができるか、あるいは置くべきか」という孔子流の「年令における人生の目標」です。私たちもこのように具体的に目標を立てるという人生観を確立すれば、充実した人生がきっと待っているはずです。
「生涯において、人生の節目節目における目標を立て、その目標に向かって努力をするからこそ、やるべきことが見えてくるのです」。
来月もご一緒に学びましょう。今夜は「にんげん学」東京講座、今夜の論語はとてもタイムリーな話です。今日、政治や日本の方向に皆さんの関心が向いているようです。
何もしないで批判をし、不平不満を言いながら過ごし、せっかくの自分の人生を虚しく過ごす人間性を養うのか、少しでも良い社会を作ろうとその場その場で努力活躍する人間性を養うのかという話です。会場でお待ちしています。良い一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
名古屋や火移動中の新幹線の車中から富士山を拝みました。