見た物で心を汚さない

おはようごいざいます。

今朝は博多です。昨日午前10前の九州新幹線鹿児島中央駅から博多へ、B社さんの博多支社安全祈願を本社同様修しました。様々に違った能力を持ち、会社の使命、理念を共有しお客様、会社、社員の皆様が幸せになる喜び、この共有です。
私たちは一面しか見ることができません、よぉ〜くわかっているのです。しかしこの、よぉ〜くわかっていることが人様と意見が食い違ったときに忘れてしまうのです。全体が見えているが如くに思っているから、人様の意見を聞き入れにくくなっているいることに気づくべきです。
これが私たちの意識のやっかいなところです。安全祈願の「祈願文」は先ず「懺悔文(さんげもん)」をお唱えします。
懺悔文とは、「自分が意識する、しないにかかわらず罪を犯している、過ちを犯している、人様を傷つけている事へのお詫び」です。許していただこうというのでは無く、行き違いがあったのは、自分に非があったと、謙虚に思うことです。謙譲をの行動を意識してやろうとする気構え。
争いは「正しいと正しいのぶつかり合いで生じます」。誰も間違った方向へ進もう、間違おうなどとは思ってもいないのです。仲間や人様と衝突しようなどと考えていません。
しかし衝突する、意見の食い違いがあったとき、意見を交わしたとしても、意地にならず素直に認め修正することです。これが自分の知識、技術を高め人間性を豊かにしていくのです。
懺悔文は、犯してしまった昨日まで、先ほどまでの罪科を自ら反省することです。これは積極的に自ら進んで改めることです。このようにできる人こそ「真の勇者」です。このような人が何事の世界でも成功者となる資格を得た人です。
衝突は改める箇所を教えてもらったのです。そのことで改められれば、感謝すべきことです。自分で発見できなかったことを教えて下されたのですから。
懺悔とは「六根の懺悔」をすることです。六根とは「眼・耳・鼻・舌・身・意」の六つのことです。意までの上の五つは感覚です。この感覚、目に不浄な物を見ても意(こころ)を汚さない。耳で嫌のことを聞いても意を汚さない。鼻で嫌なにおいを嗅いでも意を汚さない。舌で嫌いな味を味わったとしても意を汚さない、身に嫌なことを触れたとしても意を汚さない、意を自ら感覚で感じた物事で汚さない。という決意をします。という誓いを先ず立てるのです。
人生は自分の欲することだけが在るわけではありません、欲しない事柄の方が多いかも知れません。そのような中で、自分の魂(たましい)、心を自分で痛めず、迷わさず、心を平穏にして真摯に向かい合うことをしなさいというのです。
それでこそ、「お客様や仲間の喜ぶことが見えてきますよ、聞こえてきますよ、肌で感じられますよ」というのです。
意識が外の縁、刺激で左右されることを知らずに対すれば、確かな対応ができなくなるのです。意、心を鏡のようにして、相手をつぶさに写して、是々非々を確かにして対応していきますという「誓願文をお唱え」するのです。
言葉は言霊です。響きます、正しく人を思いやる懺悔文を繰り返し繰り返しお唱えすることで、少しずつではありますが、響き、こだま、反響を大きくし、無理なく繁栄がなるのです。この繁栄はお客様、会社、社員の方がの繁栄となることはいうまでもありません。
目障りの悪い、耳障りの悪い、香りがよろしくない、味が合っていない等々の現実に直面したとき、自分の魂を自分で傷つけることのないようにしましょう。
そのためには先ず自分が人様の六根に良い影響を与えることを精進してまいりましょう。今日も素晴らしい一日でありますようお祈りいたします。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
昨夜B社さんの福岡支社の安全祈願を終えてごちそうをいただきました。
お店の入り口のたたずまい。暖簾が良い雰囲気を醸し出していました。連日ごちそうさまです。