知恵と智慧

おはようごいざいます。

愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」おまいりいただきありがとうございます。毎回同じ事を書きますが、同じ事が書けることも嬉しい。皆様がおまいりになる日の朝のお勤めは自然と気持ちがこもります。そしてやはりご一緒のお祈りは感動します。
人生は今何を感じるかの積み重ね、だから祈りを幸福開運と称しています。今を幸福だと感じられなければ、永遠に幸せはやってきませんし開運もないのです。開運できるのは如何に幸せと感じることを多くするかです。それがチャンスを招くことになるのです。
毎回皆様とご一緒の祈りの感動が新鮮。さざ波のように寄せては返す皆様の読経の声、響き、波動の力です。いつも感動をいただきありがとうございます。今夜は13夜、お月様を拝み感謝しましょう。きっと又新たな感動があります。そして新たな幸運との出会いも、順調な満ち欠けがあってこその繁栄だからです。
皆さんの愛情、慈悲心はありがたい。私たちは幸せになりたいと考えその方法として知識を得ます。知識は「科学」ともいいます。科学の科は「枝」のことです。枝は好きな方へ伸びていきます、ですから科学はバラバラな知識ですので、だからこそいくらでも積み上げていくことができます。積み上げていくことで発達してきたのです。
世界中が賞賛する素晴らしいノーベル賞ともなります。しかし、ここで立ち止まって考えなければいけないことがあります。
科学は積み上げていくことはできましても、科学そのものには「知恵」がないのです。ですから科学、知識の発達は「時には不幸をもたらす結果ともなる」のです。その例は挙げずとも皆さんには察することができるのではないでしょうか。いろいろな不幸を招いたことを。科学の発展のためと割り切って良いものではありません。
では何が必要でしょうか?、私たちは知識を積み上げる前に「知恵を持つべき」です。持つべきというよりも、持たねばなりません。でなければ、知識の積み上げ=科学の発達はとても危険です。
知恵にも二種類があります。それは人間の欲望にもとづく利益優先の知恵、これはいけません。ですから欲望から得た知恵を「知恵」と書くのです。知恵は満足を知らず不幸に誘うことを知ることも大切です。
私たちの大切な知恵は知恵では無く「智慧」と書く方の智慧です。これは「利他」「小欲知足。足ることを知る」「慈悲」が智慧のことです。相手を思いやることです。発展は望んでも、「満足する智慧」。塩水を飲んだ如く渇きが癒やされないような欲望を求める知恵では無く、人を慈しみ、分かち合い支え合う智慧です。分かち合うことに喜びを感じる愛情です。足ることを知り、分かち合い、思いやる智慧を大切に暮らしましょう。
この智慧こそ豊かな暮らしを導くものはないのです。辛抱できなければ自滅と不幸な争いが待っているだけです。これは周りに感謝できていないという自らの愚かな迷った知恵が作り出したものであることを知りましょう。
明晩は「にんげん学」小倉講座「老子を読む」。老子の道も智慧の世界。ご一緒に素読、音読をしましょう。理解するのでは無く、感じる心の世界。感じることで愛情豊かな人生経営ができます。
明後日は「にんげん学」神戸講座「論語を読む」、こちらは社会秩序を大切にして分かち合い、支え合う充実した人生としましょうという話。
昨日から心華寺で開校されています「M&Uスクール」受講生の皆さん今日一日しっかりと学んでください。今日も家族で少しずつ分かち合い、支え合う休日と致しましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
昨夜の夕食です。Oさんからの毎月の差し入れです。「あじの南蛮漬け、生牡蠣、松茸の土瓶蒸し、肉じゃが」でした。ごちそうさまでした、美味しくいただきました。毎月感謝いたします。

Wさんに山口県美祢市秋芳町にあります。秋芳白糸の滝です。



美祢市別府弁天池です。




秋芳洞です。