無我夢中

おはようございます。

朝目覚め外が真っ暗、季節はすっかり変わったようです、お星様もキラキラと輝き朝の感じ方が違います、一日を大切に過ごさなければと思います。
今朝は心華寺です。いつも放浪しているようです、しかし格好良いようなことを書きますが、心は御仏と一緒。できすぎていますかね、このようなことを書きますと。
以前は心華寺や愛宕寺から離れますと、寺が心配。寺に居ますと、各地の皆様のことが気になるといった具合に「心が此処(ここ)にいなかった」。当に「心ここに在らざれば死人に同じ」という状態。いつもいつも惑いの中にいたようです。
若いときには心中穏やかならざるくらいに起床から就寝まで修行、修行の連続。今、弟子・誠澄が「五穀断ち・塩断ち」「懺悔練行」を行じています。約二週間と少し経過しています、修行に夢中になっている顔は美しいものです。「身内褒め」は余り褒められたものではありませんが、何かに夢中になって取り組んでいる姿は美しいものです。
早朝から夜遅くまで修行三昧。自分で決めたことですから当然なのですが、過去に私自身が経験していますので、心身の疲れは筆舌に尽くせません。何が辛いかと言いますと、寝不足。これが一番耐えられない。しかし今この行をやり遂げませんと、11月29日から12月6日までの「断食・断水・不眠・不臥」を耐えられず「死」さえ招きかねません。
なり切るということは「死中に活在り」を覚ること。「生中に死あり」を知ること。物事の成功を考えて、結果を考え行を行っているようでは、何も得られるものはなく、迷うだけであり、法力さえ落ちてしまいます。今、此処に無心。随処に主と為す。
無我夢中という言葉がありますが、夢中の中でこそ「死中に活在り」という覚悟ができます。久しぶりに弟子・誠澄の顔を見て思うところでした。今日は無心に、無我夢中になる一日を過ごしてみてください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌