非礼を視ず

おはようごいざいます。

「にんげん学」東京講座ご出席の皆さんありがとうございます。早いですね、今年も来月一回だけとなります。来月12月4日も宜しくご一緒ください。
昨日の論語、微子(びし)第18、18条の話も私たちの人生行路で似たような話がよくあります。孔子の弟子、子路(しろ)が、一緒に旅をしているとき、途中で用事か何かで孔子から遅れ後を追っているとき途中の村で、孔子の行方を尋ねたときの話。
世間には孔子をよく思わない人も大勢いました。今も昔も人間は変わりません、自分が志を持って世の中に歩み出したものの、余り受け入れられず、同じように道を説いている孔子が高名となり、ひがんでいるのでしょう。孔子の志は人に知られる知られないにあったのではなく、志を述べることにあったのですから、当然のことかもしれません。
子路孔子の弟子と知った隠者(志を持ちながら世間から逃れている人)が、子路に向かって孔子の悪口を言ったのです。さすが孔子の弟子、子路は怒らずに礼節を以て隠者に対しました。
礼儀正しい姿を見て隠者は子路を自宅に招き、一夜の宿を提供し、ご馳走し饗応したのでした。そして自分の子どもに引き合わせ挨拶を交わしたという話です。
私たちは自分の師の悪口を面と向かって言われますと、顔色を変え、態度も悪くなり、対応する言葉にも角が立ってしまいます。しかし子路孔子の教えを実践する者ですから礼節を忘れなかった、信義の厚い弟子です。このような身の処し方を見習わなければいけません。
顔淵篇(がんえんへん)に顔淵が孔子に「仁とはどういうことでしょうか?と問いました」。答えが「克己復礼(こっきふくれい)」。仁、思いやりある行動を行動とすることは「己(おのれ)に克(か)ちて礼に復(かえ)る」ことであると教えたのです。私は「この答えに胸にずんと堪え響きます」。「気にくわなかったり、自分の思い通りにならなかったりしたとたん、礼を忘れ怒りを発してしまうから」です。
顔淵は克己復礼を為すには具体的にどうすればいいのですかと更に問いました。孔子の答えが「視聴言動(しちょうげんどう)」の四つの戒めでした。
「人としての行動すべてにおいて、礼にかなったことによって行動せよ」と教えたのです。相手が「非礼をしても視るな、聴くな、言うな、動くな」と教えたのです。
相手の非礼で己の視聴言動を迷わすなというのです。これはやはり克己復礼の鍛錬が必要です。この教えを読みますと大いに恥じます。子路の態度、顔淵の質問の深さ、鋭さに脱帽です。
言うことと行動は自分自身の考えによって制御(せいぎょ)できます。しかし視ること聴くことは、目にはいってきますし、耳に入ってきますから、難しいことはいうまでもありません。だからこそ視と聴いう字義でありところの「意志を用いて視聴すること」を確かにすべきことです。仁を実践するために、克己復礼が大事なのだと、改めて昨日学んだことで強く思ったことです。
今日一日克己復礼を思い過ごしましょう。今日午後3時から「NPOこころにはな」では「第二回・子育て支援セミナー」が開催されます。場所は心華寺「心華荘」です。どうぞお運びください。「習慣による子育て」の素晴らしいお話が聞けます。参加費は無料です。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
昨日の富士のお山です。









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