風呂敷のように

おはようございます。

ご存知のように人生に一日として同じ日はありません。また人生は良い日ばかりではありません。むしろ、いかんな〜、悪いな〜と感じてしまう日のほうが多いかもしれません。この悪い日は悪い日なりに、その日でしか味わえないこともあります。これも我が人生と思い、一所懸命に生きる。このような心で過ごせれば安らかに暮らせるのです。
何か目標を立てて実践したときは、その多くは最初は失敗する、失敗するといいますか、大方は余り上手く行かないものです、だからこそ、成功を夢見て楽しく常にポストにベストを尽くす。このような覚悟が大事ではないでしょうか?。もし、このような思いができないのであれば、慢心している、自惚れがあると思ったほうがよろしい。
しかし、なかなか、このような思いにはなれません。では、一生悩み苦しんで、何の楽しみもなく、楽しみもせず一生を暮らさなければいけないのかといえば、そうではありません。そんな人生であるのならば、私も嫌になりますし、毎日ブログも書きません。夢があるから、日々ブログを書いているのです。
人間は「とらわれます」執着して当然なのが人間でもあるのです。だからこそ、「良い考えにとらわれましょう、とらわれると言うよりも良い習慣をつけるべきだと私は言いたい」のです。悪い考えにとらわれる、悪い習慣をつけるから、面白くなくなる、心が不安定となるのです。私たちは良くも悪くもパターン化するのです。であるならば良いパターンがいい。
では、よい考え、良いパターンとはどのようなものでしょう?、それは「小欲」と「感謝」の「日暮らし」です。私は「ポストにベスト」以上のものも、以下のものもありません。ポストにベストを尽くして、今日の結果で、できなければ仕方がありませんし、だから「修正し直す」。
ポストにベストという考え方に感謝し、今以上になろうなどという考えはありません。というよりも、良いこと、原理原則を確かに繰り返せば進化するものなのです。ですから、あの人よりもなどといった競争心をかき立てません、いわゆる小欲知足。「足ることを知り、己を知り、自分のペースで修正しながら歩む日暮らし」です。
師匠に、最誠、本当の智慧とは「風呂敷のような心で歩むものだ」と教えられ、思わず「そうだ、その通りだ」と心の中で叫んだときがあります。
小さな物(人・少し私より不出来に感じられる)が目の前にきたら、「包ませていただきなさい。サポートさせていただきなさい」。大きな方、優れた方が現れたら「包んでいただきなさい、包まれるようにありなさい」。
そして、いろいろな経験体験をして足りない未熟だと思えるようになったら、「つないで行くようにしなさい、つないでもらえるようにしなさい、プラスして大きくしなさい、大きくなりなさい」と。そうすれば「風呂敷のように柔軟な心となり」どんな物でも「包めないことはない」「どんな物でも解決できないことはない」と教えられました。
行き詰まるのは結局のところ、「我慾を知らず、身の程を弁えず」、「己の小さな考えにとらわれ」、「小欲と感謝がないからだ」と。小欲と感謝で日暮らしをしなさいと諭されたことを思い出します。
明日は心華寺・みのり大祭「採燈大護摩法要」です。午前10時から厳修いたします。是非おまいりの上、一年のみのりに感謝の祈りを捧げてください、感謝をなされれば来年も必ず不足のない実りが与えられます。今日一日を感謝の思いで過ごしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
がん・中風・ぼけ・認知症封じ「大根焚き」に焚きます「聖護院大根」が成長しています。誠澄の「懺悔練行」も佳境、胸突き八丁です。行力、加持力の高まり、三昧力が感じます。12月6日はご利益がいっぱい得られます。おまいりください。