声を出して

おはようごいざいます。

今朝は冷たい風が吹いている下関です。今夜は「にんげん学」小倉講座、明晩は神戸講座、小倉は老子を読んでいます、神戸は論語です。どちらも音読をしています。心学の書、精神の書は大きく腹から声を出して読まねばなりません、私の日課であります読経も同じです。
ボソボソと読んでは体得できない、腹の底から読んでこそ己の魂に響いてくるのです。それも一度や二度では駄目で、何度も何度も繰り返しが肝要です。こんにちは試験の時や何かのために、覚えることが勉強になってしまっています、もったいないことです。せっかく魂の書を読みながら血肉にできていない、それは大きな声で音読をしていないからです。
心学の書や、精神の書を何で音読すべきかといいますと、書いた人、聖人の「命のリズムが体感できるようになる」からです。そうです音読は「書いた方の命を読んでいる」のです。命を読み進めていきますと精神が「快の状態、快感の世界に入る」のです。
人間の本質的な魂が喜びを覚えるのです。こうなりますと、下手な小手先で人生を歩むようなことはしなくなるのです。威張るのでは無く、その人から発せられる雰囲気が堂々としてくるのです。そしてどんな世界にでも溶け込むのです。それはどんな世界にあったとしても魅力を発することができる人間性となるということです。
そして、先日も書いていますが、歩む道を決めたからといって、何も平坦なことばかりではなく、山あり谷あり、時にはいばらの道となったりもします。そんなとき、決して諦めない、モチベーションが落ちず、そこで工夫をする、現実から学び取ろうとする人間性が自然身につくのです。高い志を歩みながら、現実の対処法も確かとなるのです。現実から逃避しては何の問題も解決しないのです。
今夜は小倉、明晩は神戸、皆さんと共に音読できる幸せを実感できる喜びが続きます。皆さん会場でお待ちしております。今朝も読経からスタートです。皆様も朝一番大きな声でスタートください。魂が喜びますよ。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
「ふるさとは遠きにありて思うもの」、ですかね。実家の兄から山形の冬の名物の漬け物「青菜(せいさい)漬け」が送られてきました。
故郷の思いでもだんだん遠くなっています。兄弟はいいですね、いまこの年になって罰当たりなことですが、しみじみと感謝できるようになりました。