信じる一本の道

おはようごいざいます。

平成27年最後の「にんげん学」一宮講座ご出席の皆さんありがとうございます。昨日も書きましたが精神、気を養っていませんと、人生を楽しむことすらできません。そのために物事に対する姿勢、態度が大事です。どなたでもわかっているはずですが、ちょっとした一言、態度がその後の人生を大きく変えます。
ですから言葉というものは、そう軽々しく発するものではなく、やはり言行一致でなければいけません。
そのために人生多くのことができる必要はないのです。そんな器用な人はいないのですから。孔子は、器用な人間と、不器用な人間とであれば、どちらと一緒に歩を進めるかと、問われたとき、不器用な人間と共にする、と答えました。器用な人間は往々にして教えを自分勝手に解釈して大きな過ちを犯してしまう可能性が大だからです。また物事を勝手に解釈しがちなのです。
孔子は「信念をもった生き方」をしていました。霊霊公(れいれいこう)第15、3条「子曰く、賜(し)や、汝予(なんじわれ)を以て多く学びてこれを識(し)る者と為すか。対(こた)えて曰く、然(しか)り、非なるか。曰く、非なり。予(われ)は一以(いつもっ)て之を貫く。」。
意は「子貢(しこう)よ、お前は私を、多くのことを学んでひろい知識を得たと思っているのか」、「はい、それは間違いですか」、「間違いだ、私は愚直に自分が信じる一本道を、脇目も振らずに歩んできただけの人間なのだ。」」。
これは「自分の信じた道を突き進めばいつかは大きな道になる」ことを説いたものです。孔子は「誰にでも好かれたい、良い人と思われたい」などと考えてはいませんでした。そんなことはできるはずもないのです。
「芯がぶれなかった」から、「忠恕」という道を通じて目の前の人のためにいろいろな学びを身につけることになったのです。
現代は手軽に情報や知識を得ることができます。しかし、そうして得た知識などさして役に立たないのです。「何のために知識が必要なのか」「その知識をどのように生かすか」「信念や志がなければ知識は単なる飾り物で終わってしまう」のです。
自分にとって何が必要な情報なのかを考えて、情報に振り回されず今日も学び自身を豊かにしてまいりましょう。
今日から全国の皆さんが6日のためにお手伝いに来てくださいます。お出でいただきます皆さん、お気をつけておいでください。ありがとうございます。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
一宮講座にご出席のKさんに日本一の生産量を誇ります祖父江の銀杏「藤九郎」銀杏をちょうだいしました。親指大くらいの大きさです、それ以上の大きさかもしれません?。銀杏で作った焼酎も、銀杏、焼酎共に味合わせていただきます。Kさん毎年ありがとうございます。