執着を

おはようございます。

「がん・中風・ぼけ・認知症封じ」お灸鉢かぶり加持法要おまいりありがとうございます。何日も前からお手伝いいただきました皆様、感謝いたします。
お陰様で行者・誠澄も無事満行、皆様方へのお加持を奉修、お喜びいただきました。中には涙しておられる方もたくさんでした。感謝いたします。
いつも思います、涙される方は、とても優しく豊かな人だと、行者の痩せ衰えた顔を拝んで堰を切ったように涙する、そのお姿を拝んだ私がまたその方に感動し、涙がこぼれてしまいます。何とも言えない、とても幸せな気持ちになります。
行者からお加持をしてもらっているお子さんの姿、ご両親と一緒ににこやかに「大根焚き」をほおばる姿、なにかしらほっこりしたものを感じる良い一日でした。これが一番のご利益だったのかも知れません。
厳しい修行の後だったからこそ、ほっとする光景に心が引き寄せられたのかもしれません。行者は「懺悔練行」から「断食・断水・不眠・不臥」七日間の修行に己を捨てて取り組んできました。
ですから見た目には苦痛と感じられることでも、行者自身は喜びだったのではないでしょうか。昨日満行のお護摩を修し、皆様にお加持をしている姿を見て、そんな風に感じたのです。
人びとの憂いや、悲しみ、もだえは、どうして起こるのでしょうか?。つまりそれは、執着心です。
富みに執着し、名利利欲に執着し、悦楽に執着し、自分自身に執着する。この執着から苦しみが生まれるのです。
行者は数ヶ月間全て己の計らいを「捨てた生活を送った」のです。「心身を御仏に委ねた、法に委ねた」暮らしです。その姿が昨日のさわやかな姿だったのでは?ないかと思っています。
初めから、この世界にはいろいろの災いがあります。そのうえ、老いと病と死とを避けることができませんので、悲しみや苦しみとなるのです。
しかし、それらもつきつめてみれば、執着があるから、悲しみや苦しみとなるのであり、執着を離れさえすれば、すべての悩み苦しみはあたかたもなく消え失せるのです。
昨日おまいりいただいた皆様は「お任せ」「自分の大事より、周りの大切な方を大切にするために元気でありたい」という方ばかり、このような方にご本尊様、行者は大いなる加持力を発揮下さるのです。
おまいりいただき、ありがとうございます。今朝さっそく行者・誠澄はお礼参りの「懺悔練行」に出ております。昨日の今日、これでこそ「加持力が強くなる」のです。お礼参りを終えて満行なのです。
明日は「にんげん学」大阪講座「老子を読む」こちらも道に従うTaoの話し。会場でお待ちしております。本年の最終講座です。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
おまいりありがとうございます。