自分に求める

おはようございます。

昨日も暖かな一日でした。今月も半分を過ぎ何かしら慌ただしさを感じます。しかし心を荒らしてはいけません。気ぜわしさを感じた時こそ、読経・瞑想がよろしい。なぜよろしいかといいますと、やはり腹式呼吸で長く呼吸をするからです。そして背筋もピンと立ちます、だからこそ臍下丹田に気が落ちついて、心穏やかになり、澄明になるのです。是非会社に出る前に、バタバタとして出社せずに、5分でよろしい、般若心経をお唱えしましょう。今の時期だからこそ実践してみましょう、おすすめします。
忙しいと書いて「心を亡ぼす」と。どうぞ心を見失わないようにしましょう。そのためにも、何かトラブルがありましたら、「君子は諸(これ)を己に求む。小人は諸を人に求む。」(論語、衛霊公(えいれいこう)第15、2条)でありましょう。
トラブルは大きくならずに済みますし、人望を得られます。意は「君子は事の責任・原因を自分に求めるが、小人は他人に求め、責任を転嫁する。」。
何かの事態が悪化し、「この状況はまずい」と気づくことがあります。そんなとき、人の対応には二通りしかありません。非を自分に求めるのか、それとも他人に求めるのか、この二通りです。
心情を道にたとえますと、「他人のせい」にするのは、大通りだといえます。「あいつが悪い」と言うだけで終わってしまい(特に悪い上司など)、多くの人が選ぶので、大きな一本道。
一方「自分のせい」にするのは、カクカク曲がった細い道です。非を認めるのはイヤな気持ちになりますし、原因を掘り下げなくてはなりませんから曲がりくねります。
争いは「正しいと正しいの衝突」。大通りを行く人はたくさんいます。この対応のまずさは、お互いに「相手のせい」だと思ってしまうところにあります。
お互いそう思っていますと、関係性の修復は難しくなるばかりです。年末にこのような気持ちの悪い状態となっては良い正月は迎えられませんし、年末にわだかまりを残すようでは「因循姑息にケリをつける」などはほど遠くなります。
こんなときは、「非」の概念を拡大することです。「確かに相手が悪かったかもしれない」しかし、この状況が起きる前に、「○○をやっておけば防げたのではないか?」と考えることができますと、全然次が違ってきます。
年末に気持ちの悪いことを残さないために、「責任を自分に求める勇気」を出すことで、人望も得、そこから学ぶこともできます。何よりも自分を豊かにできます。
責任を人に求めますと、いつまでも「後ろ向きとなる人生を送ることとなり、過去に生きるため、ちっとも成長しない」のです。これでは人生を楽しめません。今日も責任を確かにして素晴らしい一日をお送りください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
一昨日「にんげん学」京都講座へ向かいますときの自宅前の夕景です。川面に映った景色が何とも言えずに。