生命をいただいている

おはようごいざいます。

健康を損なっているわけではないのですが、やはり3日間の断食・断水を行じますと、体に感じるものがあります。今朝は随分復調してきています。誠澄は一週間「断食・断水・不眠・不臥」を行じ、さらに苦しかったに相違ありません。以前はこのような思いをすることなどはなく、自分で言いますと、へそで茶を沸かしますが、ようやく思いやりを感じるようになったのかもしれません。遅きに失したかも。今更ながら私の弟子ですが、凄いと感心しています。身内褒めはいただけませんが、お許しください。
法に基づいて行じ苦しみを感じる、当たり前のことです。事を始めれば、苦しみがあるということを想定しなければいけません?、余り想定せず、物事を知ればスムーズに事が進むように思っていたのが私でした、愚かな話です。どんなことをやっても苦しみや困難は伴うのが道理であることも改めて体得しました。だからこそ力となる。道理に基づけばこそ忍耐も養える。六波羅蜜の行です。
昨日も性は聖ということを書いています。聖なる行為は何も寺で行うから聖なる行為であるというのではありません、そんな狭い世界が聖であるはずがないのです。素直に性に目覚め、素朴に「今ここに、生命をいただいているということを高らかに謳歌(おうか)することです」。このような思いでご先祖様、ご神仏に手を合わせ祈ること、お仕事に携わることが聖なる行為です。
八千枚護摩供を行じ「ご本尊様と護摩木と熱さと一体感の歓喜、和合の喜びがこの場で許されている」「それら全てに対する感謝と賛美の思いを、全身から溢れ出るように発散し、周囲へ放射し行じるものだとの思いを強く感じました」、だからこそ多くの人が私と共に3日間も「オン、カーカーカビサマエイ、ソワカ」と一体となってご真言をお唱え下されたのです。このように感じられたことがこの度の大きなご本尊様から得た「啓示」だったと感謝しています。
ご本尊様と私と皆様との性(素直な心)の交わり、真実の聖なる感応道交(かんのうどうこう)(道・教えによって心が一つに交わる)を実感。
今ここに生命をいただいているという感謝の歓喜を知るべきです。「喜びのエネルギーを以て社会の為にお互い力を尽くそうとする雰囲気が自然に醸し出されるからです」。このように喜びを知る家庭・会社は発展します。なぜならば己が価値を認める認めないではなく、知る知らないではなく目の前の現実に素直に感動、生命の躍動を感じることができるからです。このような思いが何事からも学び、栄養とするのが、性であり聖なる行為なのです。
「繁栄の要素、成長の要素を引き寄せてしまうのが性・聖なる行為」なのだという言葉が「護摩の炎の中から聞こえました」。
今夜は「にんげん学」小倉講座「老子を読む」、本年の最終講座、一年の心の締めを確かにしていただくために是非ご出席ください。Taoも性を説き聖に高めよと教えています。午後6時半会場でお待ちしています。(会場「小倉商工会館3F TEL:093-551-4031。北九州市小倉北区魚町2−6−1」)
喜びの一日を送りましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌