反省させられた

おはようございます。

今日は成人式、新成人の皆様おめでとうございます。「人としてどうあるべきか」「どうなければいけないか」を確かにして「大人として」社会貢献を身近なところから、「今現在、己自身のできることで行う大人となっていただきたい」と願います。
私たちは先ず自分に嘘をつかないことが大事です。嘘をつかないとは、正直に生きるということです。私は比叡山ご開祖・伝教大師最澄上人の「願文(がんもん)」(生涯をどう生きるかを宣言された誓願文)を19才のときに読み感動、また「心学」を学び、一番心に何を感じたかといいますと、「こんな生き方をしていてはいけない、もっとちゃんとした生き方をしなければいけない。お前の生き方は間違っている」と「反省させられた」ことにあります。
何も大きな事をしよう、世間に名前を売ろうなどと大層な思いではなく、ただただ「反省した」のです。
経典・経書(けいしょ)は「反省させる力を持っている」のが凄いと、その時に素直に感じました。最初の感動が今各地で行っています「にんげん学」につながったのです。
人間である以上、なくて七癖、といわれるほどに欠点は多い。私などは、欠点、業欲の塊(かたまり)の人間。だが、同じ欠点でも、許せる欠点と、許せない欠点があります。許せない欠点とは、それは「人間が卑しいということ」(心が貧しい、金銭に貪欲で意地汚い)です。品性下劣な人間、これは私は容赦なく嫌いな人間です。何故ならば、「人間と動物の違いは、尊敬する気持ちと恥を知ることの違い」だからです。
特に「廉恥心(れんちしん)(いさぎよくて恥を知る心。清らかで恥を知る心)を失うのは人間としての一つの資格を喪失すること」だと自覚すべきです。
そのためにも私は「使命感=生きがい」「専門職としての矜持(きょうじ)」「法を歩む無私」「夢=ロマン」を持つべきだと考えます。道を歩もうとせずに我欲の人生の道を歩めば、ウロウロする人生となるのがオチです。
自惚れて学業を目指し、自惚れの故、中途半端所か半年も経ず学業を投げ棄てた私、比叡山開祖・伝教大師最澄上人様の「願文」の言葉に出会えず「反省することがなければ」、そして慈悲深い師匠に拾っていただかなければ今日はありませんでした。
師は「心穏やかに私を許し受け入れてくださいました」。慈悲の世界、慈悲の心です。
師にお会いして心穏やかに、相手を許し、慈しむ人間であるためには、「自分が成長していかなければならないと再び反省させられた」のです。
私たちは生きています。生きているから欲望が湧き、悲しみがあり、歓びがあり、希望があり、絶望もあります。それが人間というものです。
ただ人間は、生きていく過程でいろいろなことを学び、それを自分のものとしていくことができます。そして肉体的だけではなく、精神的にも成長していくことができるのです。
言い換えれば、「私たちは生まれながらに人間であるわけではなく、成長していくことで人間になるのだ」ということです。
さまざまなことにぶつかり、まよいながらも前に進んで行く。そのために反省し学び、努力していく。そして成長して人間となる。これが人間の本質だと私は思います。新成人の皆さん、自分に嘘をつかない、自分から逃げない豊かな人生を歩んでください。素晴らしい人生となりますことをお祈り致します。
今日は「にんげん学」京都・大阪合同初講座です。新成人の皆様に恥じないようにご一緒に学び成長してまいりましょう。会場は心華寺です。午後1時30分受付です。本年全国の皮切り、初講座です。会場でお待ちしております。
素晴らしい一日でありますよう。全国の新成人の皆様の一生がご多幸でありますよう。そして私たちも、幸せのお裾分けをいただけるように大人として過ごしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌