反発と感動

おはようございます。

今朝の宇治は雪は降ってはいませんが強い冷たい風が吹いています。雪国では吹雪いているのではないでしょうか、何も無いことを祈ります。
西郷隆盛をある人が「一日、かの人に接すれば、一日の愛生ず。三日かの人に接すれば、三日の愛生ず」といわれたそうです。すごいですね、このような人物になれるものならなりたいものです。
しかし、ここで言っているのは急にこのような人物になったのではない、初めかそのような人はいない、ということです。「このような人間でありたい」と修養し続けたからこそ、人がそのよう感じたのです。
私が比叡山に登ったのは「心が不安定な時」でした。比叡山開祖伝教大師最澄上人様の書を読み、最初は「何だこれは?と反発心を感じ」「こんな気持ちになれるはずはない」と同じ19才のおりにお大師様が書かれた「願文」を読み反感を覚え、感動しながら、何度も何度も読み返し、そして「腹を立て、放り投げ」しかし「又読み返す」という繰り返しの果てにお山に登って体現しようと考えたのです。
書物は「虚心坦懐になって、己を虚しくして読まねば生かせない」などというのは、随分後になって理解できたことで、最初は「反発、反感の連続」、しかし、読み重ねて行きますと、「魅せられる」「魅せられた」のです。どんな書物にも毒があり、悲しみもあり、喜び楽しみもあります。もし毒も悲しみも、喜び楽しみもなければ、読む気もおきません。
強い反発を覚えながらも、反発させるものが同時に魅力となって、いつしか生涯の伴侶となる関係が、生身の人間だけでなく、人と書物の間にもあり得るのではないでしょうか。
反発し、苛立たせ、叱責され、納得させられる、これくらいでなければ、生涯学ぼうとは思えないのです。
修養したことが言葉ではなく、体からにじみ出るくらいになるには、やはり葛藤もあり、それが過ぎて心静かに、内に燃えるような志気で練り上げなければいけないのでしょう。このような思いを最近強くしています。
今日も寒い一日となりそうです。しかし心の中に熱くたぎる情熱を持ち、護摩を修し、己を修します。皆さんもどうぞ熱い思いをお持ちになりお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌