有無

おはようごいざいます。

「にんげん学」小倉初講座ご出席の皆さんありがとうございます。寒い日でしたが皆さんにご出席いただき心温まりました。やはり初講座嬉しい限りです。皆様のお心に感謝いたします。2月は26日(金)です。今年も地道に学びをご一緒に熟成してまいりましょう。
老子41章「有無」の話、「有無相生(うむあいしょう)ず」。「有があってこそ無があり、無があってこそ有がある。物事の多様性を重要視する」老子の言葉。
どのようなものにも「絶対はない」という話でもあります。私たちにある絶対は「死」だけですかね?。
「ウム、ウム」とうなずく言葉となったのはこの「有無」から?。この有無は「どのようなものにも絶対はない。ゆえに、じっくりと有り無しを論じてみることの大事を」老子は教えます。
「天があって地がある。持つものがいて、持たざるものがいる。その意味を考えよ」というのが老子「それ、有りや無しや」。
私たちはどうしても「有」にこだわり、迷ってしまう。私たちはふだん、万物の根源はあるか、自分はどこから生まれてきたか、などということは気にしていません。改めて問われますと「それは、生まれてきた以上は、どこかにモトはあるよなぁ・・・?。それは何かわからないけど・・・?」という感じでしょうか?。
「有無相生ず」る、この漠(ばく)とした感覚を突き詰めたもの、万物の根源を「道・Tao」としたのです。老子は言葉で説明して「道」とは宇宙のありとあらゆる存在の「母親」のようなものだと教えます。
現実的に捉える自分自身は、お母さんがお父さんの力を借りて生んでくれたのですが、先祖を遡(さかのぼ)って、遡って、遡った先の時空を超えたところに万物の根源としての「母なる道」がある。そんなふうに認識してください。「つまり、誰もが、「道の片割れ」なのです」。
「反る者は道の動なり」という教えは私に勇気を与えてくれた教え。中途半端な時は、強さとはただがむしゃらに進むことだと勘違いして、跳ね返され、傷ついてばかり、誤った強さでした。老子を読み現実の自分と照らし合わせ、原点に反り再び歩み直したらキチンと周りの協力も得られ物事がなったのです。
それまでは頑固に自分勝手な理屈で進み誰の共感も得る事が無かったのです。
「反る者は道の動なり。弱き者は道の用なり。
天下の万物は有より生じ、有は無より生ず。」。
「前に向かって進むのではなく、あともどりをしてもとに返ってゆくのが、「道」の動き方である。強くたくましいのでなく、弱々しいのが、「道」のはたらきかたである。
世界中の万物は、「有」としてのある存在から生まれてくるが、その「有」は「無」としての「道」から生まれてくるのだ。」。
世間で弱い、できないヤツだと言われてきた私に勇気と希望を与えてくれた応対辞令の言葉、教えの実学。何かにぶつかれば「あともどり」をするのが「道」だと目覚めたときから目の前の道が大きく切り開かれたのです。
今夜は「にんげん学」神戸初講座「論語を読む」です。論語にも大きな示唆があります。今年初めて皆様にお会いできますことを楽しみにしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
Mさん今年もきれいなお花ありがとうございます。皆さん今年もご一緒に学びましょう。

初懇親会、お多幸さんの素晴らしいお料理からスタートです。マスターごちそうさまでした。今年もよろしくお願いします。
季節の天ぷらの盛り合わせ。

鯛やヒラメの舞い踊りです。

お多幸名物「おでん」。

てっちり。