信力(2)

おはようございます。

「信」の素晴らしさは昨日も書きました。信には、「懺悔(さんげ)と、随喜(ずいき)と、祈願の三つの姿が現れてきます」。教えを信じる者は「深く己を省みるようになる」のです。そして「自分の罪と汚れを自覚し懺悔する」のです。反省できるからこそモチベーションも落ちず、人生を豊にするのです。
他人の善いことを見ると「わがことのように喜んでその人のために功徳を願う心が起きます」。随喜の心は社会生活の営みの中で最も大切なものです。
孔子も「賢見ては斉(ひと)しからんことを思う」のが君子(志を持つ者)だといいます。私はこの随喜の教えを聞いた時に「心に衝撃が走りました」。白隠禅師座禅和讃の中にも「讃歎随喜(さんたんずいき)する人は福を得ること限りなし」と。私は優れた人を見て、優れた人に随うだけでいつしか「感化され進化できた」のです。比叡山修業時代に体得できたありがたい実践の教えです。
「福とは自分の描いた夢が実現する」ということです。随喜の教えを知って以降、随喜を実践し今日まで歩んでいます。
自分が発想できることは何一つありませんが、人の素晴らしさを知ることは、美味しいものを味わうことをできるように、容易に知ることができます。優れた人に随う、これほどの易行道はないのです。学ぶ(まねぶ)原点、「幸福の法の原点」です。
功徳を願う心とは「素直な祈願の心です」。私の五感は縁に触れてその歓びを実感できます。この真実、事実を知ったとき、教えの「自他不二(自己と他人とは別人でありながら,しかも不二の存在であるという考え方。およそこの世でだれにとっても,最もいとしいものは,おのれ自身であるが,他人にとっても同様である。ゆえに自己を愛する者は他人を愛し守る者でなければならないと考える)」を体感できたのです。
人の幸せ、愛する人の幸せを祈ることのできることほど幸せはないのです。日々、日参りされる皆様のお姿を拝見し、護摩木に祈願されている願い事を拝見しますと、この事実が実感されます。
信は「懺悔・随喜・祈願」未来永劫の繁栄の道。信じ喜ぶ一念のあるところに、富と栄誉が自然と来たるのです。今日も信じる一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
今年も大阪のKさんのお兄様の大田石材店様から節分会・厄除け開運・星祭り「採燈大護摩供火渡り法要」の時、参拝者の方への「ふるまってください」と四斗樽のご神酒を奉納いただいました。大田石材店様ありがとうございます。