精神

おはようございます。

昨日の午前10時から今日午後5時までCMA様主催・第205回「リーダーシップ実践禅寺合宿研修会セミナー」を開催しております。参加者の皆さんご苦労様です。各会社で日々素晴らしいお仕事をなされておられるわけですが、まったくの別世界での生活、一泊二日の短い日程ですが、いろいろと不自由を感じて研修を受けていただいておられることと思います。
人生は、この不自由さ矛盾を時には感じ己を奮い立たせることも大切です。その事実をしっかりと受け止め、栄養として自身を涵養していくことが人格を一層高めていくことになるのです。先日も書いていますが「人との出会いは縁であります」。この道を歩み人生を確立しよう、この会社で力を発揮しようと選択することはできます。しかし「人との出会い、縁は選択できないのが現実」です。
先日このようなことを書きました。「人格とは、生まれついたものではなく、つきあう人から学んで育むものなのです」。皆さんはどのような人格を形成したいですか?、いかがでしょうか?。
「己を修養してこそ己と社会をマネジメントできます」では何を修養すればいいのでしょう?。孟子に、次のような言葉があります。「天がある人に大任を授(さず)けようとするときは、必ずまずその人の心身を苦しめ、窮乏(きゅうぼう)の境遇(きょうぐう)に置き、何をしても思うように事が運ばないような不本意な状況を与えて試練させる」孟子、告子(こくし)篇。
いかがです、この孟子の「教え、考え方」、知識を得れば何事も叶うのだと思っている人と、孟子の教えを体得している人とでは「現実の受けとめ方が天地の違いがあるのではないでしょうか」。
物事を知れば何事も直ぐに意のままになると考えて歩み出す人と、夢・志が大きければ大きいほど、「天は試練を与えて下さるのだ」という思考で歩み出す人では、現実での対応の仕方がまったく違ってきます。
「人は常に高い精神をもつべきだ」とよく言われます。「精神」には、もともと、いろいろな意味がありますが、ここでいう「精神」とは、人の心の中に蓄(たくわ)えられている「力」であります。一種の「エネルギー」です。そして、ある種、「人の意識や思想を形成するものであり」、「価値観が昇華(しょうか)されたもの」です。さらにいえば、人が有する「信念であり」、「正大(せいだい)で剛直(ごうちょく)な意志のこと」です。
「富貴(ふうき)をもってしても惑わすことができない、貧賤(ひんせん)であっても志を変えることはできない、武力や権勢でも屈服させることができない」。人はこうした「高尚(こうしょう)な精神」を養わなければなりません。
具体的には、儒学の経典の中でも述べられていますが、「周易(しゅうえき)」の中にある「自強不息(じきょうふそく)、倦(う)まずたゆまず努力すること」「厚徳戴物(こうとくたいぶつ)、深い仁徳を積む」といった精神や、「論語」の中にある、「見利思議(けんりしぎ)、利益が目の前にあったら、それが筋の通ったものかどうかよく考える」「見賢思斉(けんけんしせい)、賢い人を見て、自分もそのようになりたいと思う」といった精神を養うことが必要です。
このようなことを研修生の皆さんにお伝えできればと考えております。皆さんもじっくりと今日は「精神」ということを考えてみてください。素晴らしい週末でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌