健全な欲

おはようごいざいます。

下関・愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」おまいりお手伝いありがとうございます。皆さんとご一緒する読経、やはり魂が浄められ響きます。ありがたい喜びです。ありがとうございます。来月もご一緒にご家族の幸せをお祈りしましょう。
「にんげん学」神戸講座「論語を読む」ご出席の皆さんありがとうございます。まだまだ寒い日が続きますお大事にお過ごしください。3月は28(月)の予定です。来月もご一緒に素読、音読しましょう。
私たちにとって「健全な欲望は重要なもの」です。ある意味「欲望が在るからこそ成長する」といってもよいでしょう。文明社会は人間の欲望を原動力に進展してきました。そう考えますと、欲望を持つこと自体は、非常に大事でもあります。
しかし一方で、欲に目がくらんでしまいますと、悪事に走ることがあります。他人をないがしろにして、自分だけがいい思いをしようと企む場合もあるでしょう。それがある種、世の風潮になると、冨の奪い合いがあちこちで頻々とおきるようになります。当然社会の秩序が乱れます、社会の頽廃は人間が招くものです。このようではいけません。孔子は欲望をこのように捉えています。
論語、里仁第4、5条「子曰く、富と貴(とうと)きとは、是(こ)れ人の欲(ほっ)する所也(ところなり)。其(そ)の道を以(もっ)て之(これ)を得ざれば、処(お)らざる也(なり)。貧(まず)しきと賤(いや)しきとは、是れ人の悪(にく)む所也。其の道を以て之を得ざれば、去(さ)らざる也。君子は仁を去りて、悪(いず)くにか名を成さん。君子は食(しょく)を終(お)うる間も、仁に違(たご)うこと無し。造次(ぞうじ)にも必ず是(ここ)に於(お)いてし、顛沛(てんぱい)にも必(かなら)ず是に於いてす。」
「富と貴(とうと)きとは、是(こ)れ人の欲(ほっ)する所也(ところなり)」と孔子は「富貴ー経済的な豊かさと、社会的地位の高いことを、むしろ重んじていました」。「人なら誰も望むものだ」と。逆に、その後に続く部分で「貧(まず)しきと賤(いや)しきとは、是れ人の悪(にく)む所也」として「貧賤ー暮らしがまずしく、賤しい身分である状態を」、「誰も望みはしない」と明言しています。
ただし、だから「欲望のままにふるまえばいい」とは言っていません。重要なのは、「富貴を得る手段」を「仁に置くこと」だというのです。
それを表したのが「君子は仁を去りて、悪(いず)くにか名を成さん。君子は食(しょく)を終(お)うる間も、仁に違(たご)うこと無し。造次(ぞうじ)にも必ず是(ここ)に於(お)いてし、顛沛(てんぱい)にも必(かなら)ず是に於いてす。」。
「人として正しいことをしていれば、富貴を得ることはできる。早く貧賤から逃れたいのであれば、道理を大切にして生きなければならない。君子は食事の間も、あわただしい時や火急の時も、いかなる時であろうと、仁に基づいて行動するものだ。つまり、仁がしっかり身についているくらいでないと、富貴は手に入らない」。このように「片時も、道をはずしてはならない」ことを強調しています。
このことを車にたとえると、わかりやすいかもしれません。車は「アクセルを踏むと、加速してどんどん前に進んでいきます」それはいい気分でしょう。でも、アクセルだけしかない車って、乗りたいですか?、恐ろしいことでしょう。欲望をアクセルとすれば、やはり欲望を抑制するブレーキが必要なのです。快適なドライブを楽しむためには(人生を)、アクセルとブレーキを上手にコントロールする必要があるのです。でなければ「破滅の道をまっしぐらに走ることになるのです」。
人生も同じです。「欲望」というアクセルを踏んで前進しながらも、適宜に、「仁」というブレーキをきかせて軌道修正をする。その制御をうまくするには「心学を身につけるべき」です。であれば「善い人生を歩むことができる」のです。
より善い人生を生きるうえで、欲望を持つことは必要です。それ以上に、仁に照らし合わせて欲望を操作しなさいと孔子は説くのです。今日も確かなアクセルとブレーキを。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
懇親会です。皆さんありがとうございます。

ホテルの部屋から見えます百万ドルの夜景。

お月様です。