第六感

おはようごいざいます。

自宅でこんな時間に目覚めるというのはいつ以来かなと考えても思い出せません、なんか落ち着かず、悲しい習性かもしれません、ゆったりとできない。まだまだ未熟、いや、未だ伸びしろがあると自己満足して数日読みたい本を読んで過ごします。しかし何ですね、今朝は喉の引っかかる感じがしません嬉しいですね、凄いです、Dr.に感謝、そして休みを守ってくれる弟子・誠澄に感謝です。
話してはいけないということをDr.に言われたにもかかわらず、思わず返事をしてしまう、声が出てしまう。何とも注意力といいますか、集中力がない。昨日病院から一時寺に帰り、来訪のチャイムが鳴ったら返事をしてしまう、習い性は恐いものですが、良い習慣をつけることが大事だということも改めて実感。
人生で初めてといっていいかもしれません、自宅でぼんやりと過ごすのは、楽しんで一週間過ごします。言葉ではなく、「行動の大切さを知りなさいということなのでしょう」。
手術が始まる前から帰るまで点滴がありました。点滴の薬袋をバーにぶら下げ、どこに行くにもそれを引っ張っていかなければいけない、寝ているときもつながれている。たった丸一日ですが、不自由この上ない、何かに縛られているとこのように行動が束縛され不自由なのだということも改めて実感、病気以上に疲れました。
囚われる、執着すればこのように不自由なのだろうな?との思いも再認識した二日。五官(ごかん。五感を生ずる五つの感覚器官。目(視覚)・耳(聴覚)・舌(味覚)・鼻(嗅覚・きゅうかく)・皮膚(身・触覚))の五つ。
「眼・耳・鼻・舌・身」という感覚器官が嫌ったり、好きになったりを感じます。これは何も悪いことではありません。悪くはありませんが、この世は好き嫌いを自由にできるかといえば、そうではなく、この好き嫌いを生かしてこそ第六感(ろっかん)が惑わされず、生かすことができるのです。
六感(五感を超越した感覚の意で,直観,霊感,虫の知らせなどの総称。通常は,意識のうえでは説明困難な勘などが働いた時などに多く用いられるが,超感覚的知覚(ESP)を含む場合もある。)は、この五つに確かに対応することで、私たちは大変な能力を発揮できることになるのです。
第六感・ESP(extrasensoryperception)とは、普通の感覚では感じられない刺激を感じることで、精神感応(テレパシー)・予知・透視などの総称。超感覚的知覚のことです。
苦痛や快感は日常生活、普段の生活では考えられないものがあります。入院中に感じたことは、すべて非日常的な体感です。しかし、「何故このような苦痛や快感を感じられたのかは、その後わかります」。「苦を体感し解放された」と解りますと、同じような体験をしなければいけない事態に至ったときの対応力となり、身体が素晴らしい反応を起こすことができるのです。
又悪い事態をまねかないようにする第六感が鍛えられるのです。ですから、先ず避けられない事態が生じたとき「受け入れる」、良寛禅師の詩「病むときは病むがよろしかろう」という覚悟、何も病むことばかりではなく、日常の仕事の中で、「選べない現実の方が多いわけですから」、先ず「受け入れる」ことで、第六感が磨かれ高められるのです。
それが仕事のアイデアやインスピレーションが高まることになっていくのです。
孟子の言葉に「その人に大きな使命を与える前に先ず天はとんでもない、どうすることもできないような苦難、試練を与えるものだ」といったのが、このことであったことを、点滴で不自由な行動をすることで、ハタと気づいたのです。
お見舞いのメッセージをいただきました全国の皆さんありがとうございます。術後二日目ですが今のところ順調です感謝いたします。一日も早く復帰するため、皆様のご厚意に応えるためしゃべらずに過ごしますありがとうございます。
2月の最終日曜日、何かを避けて大きなチャンスを逃したのではないかをチェックしてみてはいかがでしょう?。素晴らしい休日をお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
近所を散歩しましたら春ですね〜水仙、桜、ぼけの花が咲いていました。