宝を見失っていた

おはようごいざいます。

2月のご訪問ありがとうございます。逃げる2月でしたか、それとも?落ち着いて過ごすことができた月でしたでしょうか?。
月初は私の誕生日でお祝いのお言葉、プレゼント沢山に賜りありがとうございます。数日前にはポリープの除去手術にお見舞いご心配をいただき皆様からの温かい勇気をいただくメッセージを沢山ちょうだいしました感謝いたします。
NPOこころのはな」のフォーラム「不登校・引きこもり支援フォーラム。あなたの居場所作り」の開催では180名弱という大勢のご参加をいただきました。ありがとうございます。
節分会・厄除け開運・星祭り「採燈大護摩火渡り法要」と今月はお世話になることが多く、皆様の慈悲心・ご支援に心より感謝いたします。皆さまの暖かいお心への感謝の思いを更に厚く実感できました盛りだくさんの月でした。
今月の陰暦の月名「如月、更衣(きさらぎ・寒さが揺るがないので更に重ね着をしなければいけない)」は私の為にあったようです。
皆さんからのご厚意に甘えてばかりいては「あかんぞ」更に「教えの衣を着直しなさい」という天からの叱咤、御仏の慈悲であったようです。
「未来に何をすれば良いのか、未来を描くことができていない」「ビジョンを持てない」状態にあったようです。そのために「天がショックを与えて下された」。「必要に迫られなければ動かないという堕落した意識になっていた」、愚者に成り下がっていた。必要に迫られてからでないと動けないという状態は「どうしようもない状態にある」のです。あと一?で奈落に落ちるという最後の慈悲です。ここで気づけないようではどうしようもないのです。
身の回りが散らかっていく、整理ができていかなくなるというのは、現状を変えていこうという「ビジョンの欠如、未来への希望の欠如から生じる」のです。「停止状態、死に体の状態」です。
病院のベッドでこんな話を思い出していました。仏教聖典の中に在ります第3章「さとりの種」第2節「かくれた宝」第4に「昔、ある人が友の家に行き、酒に酔って眠っているうちに、急用で友は旅だった。友はその人の将来を気づかい、価(あたい)の高い宝石をその人の着物のえりに縫いこんでおいた。
そうとは知らず、その人は酔いからさめて他国へとさすらい、衣食に苦しんだ。その後、ふたたびその旧友にめぐり会い、「おまえの着物のえりに縫いこまれている宝石を用いよ。」と教えられた。
このたとえのように、仏生の宝石は、貪(むさぼ)りや瞋(いかり)という煩悩の着物のえりに包まれて、汚されずにいるのである。
このように、どんな人でも仏の智慧のそなわらないものはないから、仏は人びとを見通して、「すばらしいことだ、人びとはみな仏の智慧と功徳とをそなえている。」とほめたたえる。
しかも、人びとは愚かさに覆(おお)われて、ものごとをさかさまに見、おのれの仏生を見ることができないから、仏は人びとに教えて、その妄想(もうぞう)を離れさせ、本来、仏と違わない物であることを知らせる」。
ベッドで法華経にありますこの比喩の話を思い出していました。「ある人とは、仏であり、皆さんのこと」です。私にお話しくださる信者の皆さんは同行の方ばかり。どちらが上で下であるということではありません。そこを勘違いしていたのです。「礼儀正しく頭を下げてくださる方々ばかりですから、己が上位だと錯覚、自惚れていた」のです。
同行であります皆様方のお話しくださる「宝」を「植えつけらていながら気づけなかった、気づかなかった愚かさ」です。そして「心が貧乏になっていった」。
皆さんありがとうございます。お陰様でようやく「因循姑息にケリをつけられる」ようです。そして今年の干支の「更改進展」に邁進できそうです。論語読み論語知らず。2月のご訪問感謝いたします。
一昨日から行われました「M&USCHOOL」受講生の皆さんお疲れ様でした。来月も是非受講ください。お元気に実践いただきますことを念じています。ありがとうございます。
新たな一週間の始まりですお大事に素晴らしい一週間となりますことをお祈りいたします。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
先日まで青々と実っていた畑でした。昨日散歩して。




又一からきれいにして始まります。勇気をいただきました。毎年一からです。このことを忘れてはいけません。何を種まき育てるのでしょう私は?。




昨夕散歩に行き夕日を久しぶりに撮りました。




足下に水仙が。

川には鴨が気持ちよさそうです。








再び夕日を撮りました。

















今朝の朝日です。