慣習

おはようごいざいます。

3月3日「おひな祭り」ですね、私の兄姉は姉が一人。しかしひな祭りといいますと母は「おひな様を飾っていました」。女の子のお祭りですが何か華やぎうきうきした気持ちで、心待ちにしていたことが思い出されます。
年に一度というものが心を浮き立たせたのかもしれません?いや、ご馳走かな?。きっと普段と違ったご馳走にひかれていたのでしょう。
決まっている行事というものはやはりいいですね、いくつになっても思い出せる、幼心を忘れさせない。純粋?だった子ども時代を思い出させてくれるのもいい。そして純粋であろうと又思う。何か甘酸っぱい思い出。
振りかえるのも好きです。その年令に戻ることはできずとも、よし、今度似たようなことが起きたらもう一度やり直そうと思えるのがいい。そして、これからも素晴らしい、いい思い出ができればと思えることもいい。
子どもの頃ご馳走は何でも母親の手作り、今のような便利な文明の調理器具や冷蔵庫があるわけではなく、できるまで時間がかかる。一日かかっていたかもしれない。美味しい物を食べるのに待つことを知り、辛抱、忍耐を作られたようにも、いただくには感謝の言葉、直ぐには食べられない。そのうえ正座、暮らしの中の雰囲気に不満を言えない自然な辛抱があったようだ。
愚鈍な私が少しでも人様の邪魔にならずにできたのも暮らしの中の自然な辛抱・忍耐が培われたからかもしれません。
今日一日休ませていただき、明日から一泊二日「味覚糖株式会社」さんの「入社2年目・活性化研修」が行われます。ポリープ除去手術後1週間。声を出すことが解禁、気をつけて話をさせていただきます。
大切な社員さんにお話をさせていただけるという栄誉に与れた遠因が暮らしの中の辛抱・忍耐だったような気がしてなりません。
家族、地域で行う慣習というのも決して悪いことばかりではありません。自分の家だけやっているのとは違い皆の行事から養われる心。
健やかな成長、無事を願う家族愛等々、行事によって涵養される大切な家族愛でもあります。お互いの家に招きまねかれる敷衍して友を大切にする愛情ともなる。
暮らしの中の自然な「忍耐力・辛抱」は必然的に「どうしようか?どうしたら?という想像力・発想力・思考力」にもつながっていたのではないかと思っています。
お休みをいただいたお陰で一年の行事、毎年必ずくる催しがあることで思い出すことができました。行事とはありがたい。お金では買うことのできない先人の知恵。今日はご家族で楽しい花祭りを、きっとお子様には素晴らしい思い出として残ります。素晴らしい一日でありますことをお祈りいたします。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
宇治にあります「天ヶ瀬ダム」を撮りました。
水はせき止められても黙ってとめられますが、しかし流れをやめず、逆に力を蓄えることに成り、またせき止められても必ず堰を超える力と為すのが「水のパワー」です。その力を生かして私たちの為に働いてくれるのが「水のパワー」です。
私たちも何かの抵抗にあったとき「力を蓄えるときだと」考えることです。




宇治川下流域に私は住んでいます。歩いて5分昨日はその川縁で夕日を撮りました。川向こうに淀の京都競馬場が見えます。