人によって

おはようございます。

手術をするのはこの度で4度目、何度やっても恐い、慣れない、慣れたくない、当たり前のことです。日常にないことを体験しますと、感謝することに多く出会い気づかされます。お陰で未熟さを知りそれが又学ぶ喜びでもあります。
手術は「俎(まないた)の上の鯉」「お任せの世界」、Dr,の言葉、看護師さんの言葉に従うばかり。感謝しなければと思うことの一つにやはり、「言葉」。言葉を発することができませんでしたので、「言葉のありがたさを実感」。そして、これほど「人様の言葉を聞こう、聞かなければ」と思ったこともありませんし、「人様の優しさがこれほど有り難いものか」とも思い知りました。
いままでは、相手がすべてを言う前に、「わかった、皆まで言うな」式で、相手に対して非礼極まりないことをしていました。傲慢不遜そのもの。これからはじっくりとお聞きします。
認識の誤りもしていることに気づかされました。声が出せませんのでお勤めができないと、誤った考え、甘えた考えをしていました。しかし、月末と、月初の1日はどうしてもお勤めをしたいと思い、微音で読経。
その話しをご近所のIさんがおまいりなされたおり、お話ししましたところ、「ご本尊様はお許し下さいますよ和尚さん、こんな時にお勤めされるからこそお心を受け止めてくださいますよ」と。このお言葉に「目からウロコ」でした。
ああ、私は今まで何を頼りとしていたのだろう、自力でしか考えていなかった、皆さんが「頼りとしておまいりくださることに気づけなかった」ことを「恥じました」。自力の限界を知ったからこそ「心から祈る」のです。まったく愚かです。最も大切な心を失っていた。御仏の大慈大悲を忘れていました。「拝むことは、こうでなければいけない」と偏っていたことを思い知らされました。
大きな声を出し読経できるときもあれば、できないときもあることを気づかなかった。何と愚かで傲慢、御仏の教えを勝手な解釈をしていたのです。声が出せずに読経をしている姿を見て「人様は、どのように思うだろう」と「自分の評判を気にしていた」。
人様にお話させていただくとき、「評判を追うな、評価を求めるな、利を追うな」と話しているにもかかわらず、私自身が評判を気にしていた、罰当たりです。
ご本尊様は「その人に応じて変化し応現し導いてくださることを忘れていた」のです。「Iさんを通して諭し導いてくださいました」。
私は教えを心に保っています、自分さえしっかりしていれば心は折れないと頑なな思いを持っていましたが、やはり「人様の優しい言葉に接することで大いに癒されたのです」。Iさんの優しい言葉や回りの多くの方に。病まなければ優しさに気づけなかったほど愚かになっていました。だから天は病をくだされたのでしょう。
「人は人によって人になる」「人は人によって磨かれる」ことを改めて気づかされました。言葉を話せなかったことで、とても多くの大切な事に気づくことできました。
皆さんありがとうございます。今夜は「にんげん学」大阪講座「老子を読む」、老子の教え「知りて知らずとするは上」ということを失っていました。病を得なければ気づくことができなかったようです。今夜はご一緒に学びましょう。会場で楽しみにお待ちしております。今日も素敵で楽しい気づきの一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌