人の嫌がることをしない

おはようごいざいます。

今日は「東日本大震災」が起きてから5年、改めまして被災されました皆様には心よりお見舞い申し上げます。不幸にも亡くなられました皆様のご冥福をお祈りい申しあげます。ただただ悲しいばかりです。
「にんげん学」一宮講座ご出席の皆さんありがとうございます。心学はいつもながら心にずしんと響きます、ありがたいの一言。昨日ご一緒に読みました。論語、公冶長(こうやちよう)第5、12条「子貢曰(しこういわ)く、我れ人のこれを我に加えんことを欲せざるは、吾れ亦たこれを人に加うること無からんと欲す。子曰く、賜(し)や、爾(なんじ)の及ぶ所に非ざるなり。」
意は「子貢(しこう)が「自分がしてほしくないと思っていることを強要されるのは嫌なので、私も自分がしてほしくないと思っていることは他人に強要しません」といった。孔子は「賜(し・子貢)よ、それはとてもお前にできることはない」。
「自分にとって不快なことは他人にもしない」と思うことは誰しも思います。「自分がされて嫌なことは他人にもしない」これも誰しも思うことです。しかし、それが実際できるかとなるとなかなか難しい。実践することは簡単なことではありません。
不快に感じること、してほしくないと感じることは日常のなかで意外と多いものです。悪口や、不平不満をいう、理不尽なことで怒る。欠点ばかりを見つけるなど、挙げればきりがありません。
されて嫌なことを相手にもしないと思うのに、なぜ実際にそれを実行に移すことができないのでしょうか?、「されているときは、そう思うのにできない」、できない理由は「恕(じよ)」「思いやり」が少ないからです。それ以上に人様に「甘えている」のです。
人間とは不思議なものです。されて嫌なのだから、と思っているのに、人にしてしまう。それは「自分はいつもキチンとしているのにという自惚れがある」のです。
恕・思いやりとは「相手の視点に立って物事を見る、相手の立場に立って考える」ことです。そうすることで「相手がされて嫌だと思うことが見えてきますし、しなくなる」のです。
また「思いやりをもって過ごす一番の方法は」、自分が「不快なことは何かを書き出してみる」、「考えてみる」というこがとても大切で、それを書き出したり、考えますと、「相手の立場に立てるようになる」のです。
その結果「家庭や職場の人間関係がより円滑になり」「自分が過ごしやすい環境を作ることにもなる」のです。
今日は自分がやられて不快なこと、嫌なことを書き出してみましょう。そしてそのようなことをしないような一日としましょう。
今夜は「にんげん学」東京講座「論語を読む」、東京地区の皆さんお会いできますことを楽しみにしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌